ATLから寛解したオカンの話⑦
2016.02.20 18:36
ATLから寛解したオカンの話⑥からの続き
そしてオカンが退院した後、私はなんとか出産。
(私の出産話はそれはそれでちょっと医師とのガチ喧嘩とかいろんな話がたくさんあったんだけど割愛)
両親も病院に来てくれたので、孫を見せる事ができました。
親の喜びようは見た事ないほどのもので。
私は今まで何も親孝行ができていなかったのだと反省しました。
さておき。
オカンは生存中央値10ヶ月を超えて生きる事ができました。
それは病院の医師も驚いていたけれど、やっぱり次には、
「1年半はもたないよ」っていう言葉。
目の前のオカンを見てたら、とても後数ヶ月で命が尽きるとは思えなかったのです。
だって、元気なんだもん。
でも病気って「まさか」ってことがあったりするからね。
退院してからのオカンはそれはそれは精力的に動こうとしていたのだけど、
やはり長期入院だったので歩く筋肉が衰えているわけです。
何もないところで転んでしまったりということもあったりで、
「何もないところで転ぶってショックやー、もっと歩かなあかんなー」と、
えらく落ち込んでいたりもしました。
ATL(成人T細胞白血病リンパ腫)は通院治療になってからも油断はできない病気です。
こまめに血液検査をして数値をみて、治療を続けていました。
あるときオカンから電話が。
オカン「お母さんちょっと旅行してくるわ!」
私 「あ、そうなん? 国内旅行くらいは許可でたんや?」
オカン「ううん、スペイン」
私 「はぁっ!? 海外許可でるん??」
オカン「内緒でトマト祭り行ってくる!!!!!」
トマト祭りってこれです、これ↓
トマト投げまくるお祭りです。
はい、これ、ダメですよー。
悪い見本なんで、絶対にオカンのような真似しないでくださいねー。
医師に内緒で海外渡航とか良くないです。マジで。
余命宣告も受けてるってのに…!!
体調も少しずつ良くなってきて、
やりたいことを実行したくてうずうずしていたのでしょう。
以前、中国で過激なデモがあったときにオカンは旅行で中国へ行こうとしていて、
渡航を家族で全力で阻止したのですが、今回は残り少ない人生ならば好きにさせようと、
容認することにしました。
本人は意気揚々と叔母さん(元看護師)と
ふなっしーのぬいぐるみ(笑)を連れてスペインへ飛び立ってしまいました。
そしてオカンはさらに元気になって日本に帰ってきました。
「今まで生きてきた人生の中で一番楽しかったー!! 最高やった!!!
病気してなかったら行きたいなんて絶対思ってなかったわ〜 」
オカンは帰国後、病院で医師にスペイン旅行の打ち明け話をして、
担当医はオカンの突飛な行動に爆笑したそうです。
怒られなかっただけ理解のある医師で良かったね(笑)
後日、オカンからスペインみやげが送られてきました。
な ん で や ! (笑)
(トランジットがフィンランドだったらしい)
気力も充実したオカンは、その後、
健康のためにと続けていた「スポーツ吹き矢」の1級にも合格して、
仕事にも復帰しました。
医師からは、
「ミルノさん、今までにこの病院でATLにかかった患者さんの中で生存期間一番長いで」
とも言われるようになりました。
最初、余命5日と言われて、峠越えても10ヶ月くらいしかもたないって言われて、
私たち家族はハラハラしていたけれど、
オカン本人は現状を受け入れて、悔いのないように生きること、
やりたいことの目標を立ててそれに向かって前向きに生きていました。
病気を乗り越えるオカンの生き様に、私はハッとさせられ、
そして勇気付けられました。
私は作家じゃないので、
かの日を思い出しながら行きあたりばったりで書いているのだけど、
さすがに当初の予定以上に長い(笑)
でも、この話は書き上げたいんだ。
すみません、もうちょっとお付き合いください。
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