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ATLから寛解したオカンの話①

2016.02.03 17:39

少しだけ重い話で続きものだけど最後には明るい話になるし、

当事者にとってはもしかしたら希望の光のような話になるかもしれない。

そんな私のオカンの話を聞いて欲しい。

そして私が妊娠&出産を発表できなかった理由のひとつでもあることも、

どうか理解して欲しい。

ある日、オカンに電話をかけた。

そしたらいつもと様子が違う。

疲れているとか、そういう類ではない。

オカンの呂律が回っていない。

何を言っているかほとんど分からなかった。

「とにかく一度病院で調べてみてもらいなよ」

電話の後、病院へ行って検査したそうだが、

特に異常なしとして帰宅したそうだ。

2ヶ月後ぐらいだったか。

私が妊娠した。

オカンに報告をしようと電話をした。

電話口では「わぁ、おめでとう。」と

祝福の言葉をかけてくれたものの、

次の言葉は耳を疑うものだった。

オカン「お母さん、これから入院しなくちゃいけないの。」

私  「は?」

オカン「今、全く体が動かないの。お父さんに抱えてもらって病院に行く。」

私「何があったん?」

オカン「ガンらしい」


どこのガンかはその時は分からなかった。

とにかく腹水が溜まっているらしいことと、

自力ではもう動けないこと。

それでも救急車じゃなく、車で病院へ行くのだし、

今はガン治療だって進んでるし大丈夫でしょ、

そんなふうに思ってた。

だけど、その後オトンから電話が来た。

オトン「お母さん、余命5日らしいから奈良に帰ってきなさい」

え? え? 5日?

あの、もしや末期だったってこと??

え? どういうこと?

事態を飲み込むのに必死だったのと、

とにかく急いで向かわねばと、

事務所に危篤の連絡をして、大急ぎで奈良へ帰った。

病室にいたオカンは、

見たことないほどゲッソリと痩せていて、

顔が黄疸で真っ黄色だった。

目の前にある現実をただ受け入れるしかなく、

だけどオカンの前で涙を流すなんてできるわけなく、

でも最後かもしれないということもあって、一緒に写真を撮った。

叔母に、祖母にと家族が続々と集まった、

「あらら、なんでみんな来ちゃったの」と言った。

オカンには余命が5日だとは言われていなかったらしい。

だから、家族が揃ったことに不思議がっていた。

病院から帰宅して、

オトンからの「…覚悟しとけよ」の短い言葉は、

あまりに重く、響いた。

急すぎる展開だった。

妊娠が発覚して、すぐに母親がガンで入院。

気を張り続けて過ごすことで、

なんとか、なんとか涙をこらえていた。

そして5日が過ぎ、抗がん剤治療などのおかげでなんとかオカンは峠を越えた。

その間に病院では病理検査と言って、

何のガンなのか確定する検査をした。

そして検査結果の日、

オカンは主治医にこう言われたらしい。

主治医「ミルノさん、出身地九州じゃない?」

オカン「え! そうです、大分です。」

主治医「そっかぁ、やっぱりねぇ。ミルノさんの病気は成人T細胞白血病リンパ腫っていう九州の人に多い血液のガンなのよー。ちょっと難しい病気だけど頑張って治療しましょう」

成人T細胞白血病リンパ腫???

白血病とは違うの?

まったく聞いたことない病名だった。

とりあえず私はグーグル先生の力を借りて、

その病気を調べることにした。

ATLから寛解したオカンの話②に続く


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