ATLから寛解したオカンの話⑨
2016.03.01 15:49
ATLから寛解したオカンの話⑧からの続き
「ちょっと! お母さん吹き矢一応初段なんですけど!」と、
オカンからご指摘いただきました。
すみません。
オカンはスポーツ吹き矢初段です!!
訂正してお詫びします! ごめん、オカン!
さて、
ポテリジオでの治療が無事に終わり、
血液検査の数値も退院基準値になったので、
オカンは晴れて退院することになりました。
ATLはとにかく再発率が高い病気なので、
定期的に通院して血液検査で様子をみることに。
オカンと電話をすると、
自然と血液検査の結果の話になる。
そして「今回も大丈夫だった〜」と、
ニコニコした声で報告を受けてホッとするのでした。
「スマホを使うまで死ねない」と言っていたオカンは、
今やLINEを使うまでになりました。
メッセージも写真添付もお手の物です。
還暦超えてるのに順応力すごい。
そして、両親は長年住んだ奈良から故郷の大分へ帰ることになり、
オカンは大分でATLの診察ができる病院を探すことに。
ATLは九州での罹患者が多い病気ですので、
九州の病院で経過観察ができるのは、娘としては安心材料になりました。
少し話が逸れるのですが、
学生時代にお世話になった方が、現在九州で暮らしていらっしゃるのですけど、
「妊娠時も、ブライダルチェックの時もHTLV-1はセットで検査されます」と仰っていました。
九州では当たり前のように検査するのだなぁと、感心しました。
(HTLV-1というのはATLの原因となるウイルスです)
私の妊娠時の検査の時、医師から言われたのは、
「どうする? HTLV-1の検査やっとく? 任意だけど」
(検査費用は自治体から補助が出ました。もちろん検査やりました。)
当たり前に検査できる環境と、
「任意」という自主的な検査。
この病気の意識の差が、地域でこんなにも違うのかとハッとさせられました。
ある日、オカンから嬉しい知らせが届きました。
「医師から寛解って言われた!」
この病気で「寛解」という言葉が聞けると思っていなかったので、
この報告をもらった時には、本当に良かったと、
オカンはよくぞATLと闘い続けたなぁと、尊敬の気持ちしかありません。
もしかしたら今後、また再発ということも十分にありえますし、
「寛解」なので「完治」ではありません。
まだまだこれからも油断はできないと思います。
それでも現在のオカンは大分で元気に暮らしています。
「〜をしたらから寛解した」というものではないのですが、
闘病中のオカンは、常に常に前向きで、
未来を憂うことなく、現在(いま)をめっちゃ楽しんで生きていました。
「前向きに生きよう」なんてことすら思ってなかったかも。
(「前向きに生きようとしている状態」は前向きじゃないからね)
そのオカンの姿に私はいろいろと救われた気がします。
「退院したらこれやろう!」と目標を持っていたからこそ、
辛かったであろう抗ガン剤も乗り越えたのだと思います。
オカンの闘病記的な感じで書いてはみたものの、
結局はオカンの超スーパーポジティブライフダイアリーになりました(笑)
こんなATLの患者もいるんだと思ってくださったら幸いです。
どうかどうか少しでも、
「成人T細胞白血病リンパ腫」という病気を知ってもらますように。
読んでくださってありがとうございました。
おわり
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