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ありのままの自分を知る、という勇気
昔の私は、「良く思われなきゃいけない」「賢そうに見えなきゃいけない」という焦りでいっぱいでした。
バカな私に価値はない、と無意識で思っていたから、大学でも、会社でも、優秀な人に囲まれるなかで「私は価値のある人間だと認めてもらわなければ…(でないと居場所がなくなる)!」って必死でした。
でもこの数年間、徹底的に自分に向き合ったら、どれだけ大きく見せようとしたって私は私でしかないし、すごそうなフリをするのはもう辞めていいやって思えるようになりました。
私は今、スモールホテル専門のコンサル・サポートをしているんですが、仮に客室が500室あるような巨大高級リゾートホテルのオーナーから「赤字経営なので建て直してください」って言われても(言われないけど)ちょっと手が負えません。
そういう大きなホテルは星野リゾートとかに経営再建を依頼されるべきだと思います。
でも、世の中には、「客室が2室しかない夫婦だけで経営してる宿」みたいなのもいっぱいあります。そういうご夫婦が星野リゾートに経営相談するかと言うと、しませんし、できません。
でも私なら、いや、私こそ、彼らのお役に立つことができます。
要は、自分の器の大きさをありのままに正しく知るというのは、逃げでも諦めでもなんでもなくて、適切に誰かの役に立つための重要な第一歩なんです。
ちゃんと自分の器の大きさを知っていれば、自分が価値を発揮できる範囲が分かります。その範囲から、まずは着実に助けていくのです。
自分の器(人の役に立てる範囲)を広げたければ、徐々に広げればいいのです。それでいいんです。何のために大きく見せるんでしょう?
昔の私には、「もっとすごくならなきゃ価値を感じてもらえない!人の役に立てない!見放される!」という思い込みがありました。
だからこそ、手に余る仕事も一生懸命やろうとしたり、分からないことを分かってるふりをしたり、できない約束をしたりしたんです。
でも結局それば自分の実態から目を背けて、自分の本質的な価値を見つけることを放棄しているにすぎないのです。つまり、そんな事する方がよほど社会にとって損失なんです。
別に誰かの役に立つばかりが人生じゃないけど、少なくとも本当に人の役に立とうという気があるなら、そもそもやり方が間違ってるわけです。
「そうは言っても、やっぱり等身大の自分になんて誰も興味を持ってくれないんじゃないか」
「現状の自分を認めるなんて、成長の放棄で、甘えなんじゃないか」
と感じる気持ちも、よく分かります。
ほんとに私自身がそうだったから。
でも、無理に大きく見せようと取り繕うことより、ちゃんと自分の器のサイズを知って、今自分ができることから着実にやってって、こつこつ積み上げて行くことの方が、ずっとずっと誠実で勇気のあることだと思いませんか?
それは確かに「勇気」であって、絶対に「甘え」なんかじゃないんだよ。