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折坂悠太「さびしさ」について#01

2018年10月に折坂悠太のアルバム『平成』を手にしてからというもの、この作品のことを毎日考えている。いや、考えているというより、みぞおちのあたりに『平成』が(、この表情のオリーが)居座り続け、癒着してしまったので、忘れるにも忘れられない状態になっているのだ。

正直、『平成』をまだ受け止めきれていない。もやもやしていて、形もよく分からない。まあ自分の心臓や肝臓だってどんな形をしているのか分からないのだから、それと同じか。

とにかくもう3か月も続くこの状態を打開したくなり、この作品を自分なりにちゃんと受け止めて、一体何を歌っているのかを文章で整理してみようというのが、このnoteの趣旨です。平成が終わってしまう前に!

とはいえ、そう簡単に太刀打ちできそうにない。時代を背負っちゃってますし、そもそもわし、ただのリスナーだし。なので自分の身の丈を前提に、ポイントを絞ることに。

折坂悠太『平成』を構成する11曲。

 坂道
 逢引
 平成
 揺れる
 旋毛からつま先
 みーちゃん
 丑の刻ごうごう
 夜学
 take 13
 さびしさ
 光

どれも本当に素晴らしい曲ばかりですが、この中で特に大きな核となるのが終盤の「さびしさ」。インタビューではこのように語られています。

折坂:「さびしさ」には、これまで自分が取り組んできたものの集大成みたいな部分があって。アルバムを締めくくるというよりは、アルバム全体の流れがここに向かっているような一曲です。

さびしさというごく一般的な感情。もちろん自分もさびしさという感情には身に覚えがあるわけで、折坂悠太の歌うさびしさの正体そのものはまだ分からなくても、分からないまま共感はできてしまう。だからこのさびしさを紐解いていくことが、『平成』をちゃんと受け止めるいちばんの近道であり、自分にとって唯一の経路ではないかと考えました。

というわけで、これから折坂悠太が産み落とした「さびしさ」という名曲について、じっくりと味わい、何回かに分けて書き綴っていきたいと思います。


本当に最高です。

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