戦争について考える
みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
明日は終戦記念日で、太平洋戦争が終わって75年が経ちます。
そこで今日は、戦争について話したいと思います。
テーマとしては、重いのですが、未来の世代を考えると避けて通ることができない話ではないかと思いますので、敢えてさせていただきます。
戦争と言うと、人間同士による国対国、民族対民族などの殺戮ですよね。
武装した軍人が主に戦うわけですが、いつの時代も、どこでも、市民が巻き込まれます。特にお年寄り、女性、子どもといった弱者の犠牲というのは、本当に気の毒で、そういう話を見聞きすると、心が痛みます。
日本も近代国家としてスタートした明治時代以降、戦争をいくつか行い、太平洋戦争までは軍隊が戦争をしていました。
戦争自体、殺し合いなのですから、肯定されるものは基本的にないのですが、大義があるとか、やむなしという戦争と、そうでない戦争があるようです。
日露戦争(1904-05)
日本がロシアを奇跡的に倒した日露戦争が大義があったかと思います。欧米諸国がアジアを征服していた頃で、日本も攻められるのは時間の問題で、交渉もうまくいかず、戦争に突入しました。
戦争しなければ、ロシアに侵略されて、支配されるという状況下にあり、勝てれば、それから逃れるという大義がありました。
バルチック海軍がロシアから日本にくるまで、様々な国で石炭や食料の補充が必要なのを同盟国イギリスの協力で、イギリス領のアフリカ諸国の港でことごとく邪魔をしてくれたり、ロシア自体も、この戦争の後に、革命が起きて、帝政ロシアからソ連へと変わる為、軍隊の統率力が弱く、戦闘で、日本を圧倒していながら、撤退することもしばしばだったり、という好条件があったこともあり、もちろん海軍の歴史的な戦いぶりもあり、奇跡の勝利となりました。
※詳しくは司馬遼太郎小説「坂の上の雲」をご覧ください。
狂気の時代へ
バルチック艦隊を壊滅させた日本の海軍は鮮やかでしたが、首の皮1枚でかろうじて勝ったというのが実情で、ロシアから賠償金1銭ももらうことはできませんでした。ポーツマス条約で、南樺太と朝鮮の保護権を日本に譲ることになりました。
この知らせを聞いた一部の市民は怒り、東京の日比谷公園で集会し、官邸や交番等を襲撃する日比谷焼き打ち事件が起きます。
圧倒的に不利な戦力で、奇跡的にロシアに勝ったにもかかわらず、暴動が起きてしまったのです。
保護権であった韓国に対しても、管理体制はどんどん強化され、伊藤博文が韓国人に暗殺され、ついに1910年に韓国を併合してしまいます。
その後、第一次世界大戦が勃発、日本の参加は僅かで、犠牲者も僅かでした。
さらに世界恐慌が起き、人々の生活が苦しくなっていきます。
10年以上かけて作られた明治憲法の拡大解釈が、陸軍の暴走へとつながります。
中国で鉄道の線路を関東軍が自ら爆破したのに、中国のしわざにしてしまう満州事変が起き、満州全域を支配、「満州国」を勝手に建国してしまいます。
さらに国内では、海軍の軍人らに犬養毅首相らが殺害されるという五・一五事件や、首相官邸や高橋是清大蔵大臣私邸、斎藤実内大臣私邸や渡部錠太郎教育総監私邸などを襲う二・二六事件も起きました。
日本軍と中華民国軍の衝突である盧溝橋事件が勃発、全面戦争である日中戦争が始まりました。
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