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慟哭と孔子、先輩の訃報に思うこと

昨日、私にとって特別な存在だった先輩が11月29日に急逝されたという訃報に接しました。その知らせは突然で、胸に大きな穴が空いたような喪失感に襲われました。気づけば涙が止まらず、それは「泣く」を超えた、「慟哭」というべきものでした。人生で慟哭する瞬間は滅多にないことです。それだけに、今回の別れが私にとっていかに大きなものであるかを、改めて実感しています。

その時、私は孔子のエピソードを思い出しました。孔子が最愛の弟子・顔回(がんかい)を失った時、「天喪予(天が私を滅ぼそうとしているのか)!」と慟哭した話です。顔回は孔子にとって最も優れた弟子であり、その死は孔子に深い悲しみと喪失感をもたらしました。今回、自分自身が慟哭を経験し、孔子が抱えた感情に初めて共感することができた気がします。

先輩は、ただの同僚や1年先輩という存在を超えた人でした。中国南シナ海の石油開発プロジェクトで一緒に仕事をし、厳しい環境の中でもその冷静さと判断力に何度も助けられました。「アラブの春」の激動の中でカイロに滞在していたときには、予測不能な状況の中でも前向きで頼もしい姿を見せてくれました。そして、プライベートでは先輩の結婚式の司会という大役を私に任せてくださり、大切な場面を共に作り上げたことが、今でも鮮明に心に残っています。

先輩は知性と行動力を兼ね備えた方で、大隈奨学金を受けるほど優秀でした。それでいてユーモアを忘れず、同僚たちからは「違いの分かる男」と呼ばれることもありました。特に印象的だったのは、ネスカフェゴールドブレンドのCMになぞらえて「違いの分かる男、能書き師・大江」と揶揄されていたことです。この愛称は先輩の鋭い洞察力や知識の豊富さを茶化しながらも、周囲がその能力を心から認めていた証でした。先輩自身もこの冗談を楽しんでおられ、職場の笑いを生む場面が幾度もありました。

孔子が顔回を失ったとき、その悲しみは深かったものの、彼はその喪失を乗り越え、教えと学びを続けました。私もまた、先輩の教えや共に過ごした時間を胸に刻みながら前を向いていきたいと思います。先輩が築き上げたもの、そして示してくれた生き方が、これからの私の道を支えてくれると信じています。

深い悲しみを経て、私自身もまた、生きる意味を問い直しています。先輩の生き方が与えてくれた教えを忘れず、その思いを次の世代へと伝えていけるよう努めたいと思います。

先輩、どうか安らかにお眠りください。これからもその存在は私の心の中で生き続けます。

合掌

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