私がアヤワスカで鬱病になった理由

はじめに

青汁王子こと三崎優太さんのYouTubeで一気に名前が知られることになった"アヤワスカ"。
三崎さんの動画は本人が鬱からアヤワスカで立ち直っていく素晴らしいプロセスの動画なのだが(感動した)、アヤワスカはその強烈さ故に危険も伴い、ペルーに行きアヤワスカを飲みうつ病が悪化し、自殺してしまうケースもあることも留意しておきたい。
私riyoは以前こんな動画を出しています。

今回は現代シャーマンを名乗り活動しているriyo本人が、10年以上前21歳の時にペルーでアヤワスカを飲み、その後7年間うつ病で苦しんだ原因とプロセスについて書いていきます。
アヤワスカは素晴らしい薬草なのですが、賛美され過ぎてネガティブな側面が無視されると危険ですので。

アヤワスカをまだ知らないという方はまず、こちらをご覧ください。

アヤワスカだけが7年間鬱病になった原因と断定することはできない。
私は幼少期のトラウマも多く、21歳の当時は尖り切ったネガティブ思考で経済的にも困窮していたバンドマンだったから、複合的な理由で精神的に不安定であった。写真の表情を見るとどこか根暗っぽい笑。でも今振り返ると、上の動画の3回目のアヤワスカで見たビジョンが私のネガティブ思考をさらに悪化させた気がする。

アヤワスカ体験

「21歳のアヤワスカ体験」でも語っているのだが、1回目2回目は本当に、本当に美しく素晴らしい体験だった。無限に広がり続ける精霊たちのワンネス世界。
「すべては繋がっていること」「幻想の中でみんな生きていること」
その後10年以上今もなお続く音楽活動で伝えたいメッセージをこの時に受け取った。
問題は3回目のセッション。

恐怖のバッドトリップ「小人が私を操っている」

プログラムは1週間で3回アヤワスカを飲む内容。
正直1回目、2回目のアヤワスカ体験で十分過ぎるほどビジョンを受け取った私は3回目の時には疲れ切り、「もう飲みたくない」というのが本音だったが、
日本からはるばる来てるし、当時のシャイな性格も相まって本心を打ち明けられないまま3回目の儀式がスタートしてしまう。
私はシャーマンから器一杯のアヤワスカを受け取ったが、飲むフリをして、口に含んだままトイレでアヤワスカを吐き出した!
しかし、アヤワスカには逆耐性というものがあり、飲めば飲むほど少量のアヤワスカでもトリップするようになる。
もとより敏感で、1回目、2回目と回数を重ねていた私は口に含んでいた時の口腔粘膜からの吸収でトリップしてしまった、、!

気がつくと全身、手足、身体中のあらゆる部位から糸が伸びていて、それは私の頭上の空間に繋がっている。そこには奇怪な姿をした小人がいて、糸を操り、私の意思決定やあらゆる行動を操作している。
「これまで生きてきた私の21年間、私が選択したと思っていた行動すべて、この小人が決定していたのだ!何て人生は無意味なんだ!自由意志は錯覚で、私の人生は全て小人が決定していたのだ、、、」
(後にこの小人意思決定ヴィジョンについて、全く同じことを言ってる脳科学者の本と出会い、救われることになる、、次回のNoteで!)

自由意志などない!!

日本に帰ってからもこの3回目のヴィジョンが頭から離れなかった。
「どうせ全て小人が決定しているから、何もかも無意味だ」
毎日ここまで考えていたわけではないけど、潜在意識の奥底に自由意志に対するトラウマが出来上がっていた。
毎日が虚しかった。音楽を続けていなかったら自殺していたかもしれない。

アヤワスカで鬱が悪化した理由

小人のトラウマ以外にも鬱が悪化した原因はある。
それは1、2回目のヴィジョンで見たワンネス世界への絶対的な信仰だ。
スピリットと繋がりワンネスの世界で生きるシャーマンの世界の強烈な刷り込みが
ワンネス=絶対善
秩序=絶対悪(バビロン)
という思想に飛躍していった。
お金、資本主義を醜いと思うようになった。
広告で溢れるコンクリートと壁で区切られた東京の街は地獄だった。
気がつけば口癖は「死にたい」。
今のriyoからは想像がつかないほど、1日に何十回も死にたいと言うようになっていた。鬱は深みにハマっていった。
当時は今ほどアヤワスカの情報は広まっておらず、周りに同じ気持ちを共感してくれる仲間が居らず孤独だったことも鬱を悪化させていった。

ペルーのシャーマニズムの問題点

誤解してほしくないのは私はシピポ族の世界観を尊敬しているし、大きな影響も受けている。部屋の壁には今でも伝説のシャーマン、パブロ・アマリンゴの画集が飾ってある。アヤワスカの精霊世界の本質はアマゾンに行かなければ体感できないだろう。

パブロ・アマリンゴ「アヤワスカヴィジョン」

ペルーのアヤワスカ・シャーマニズムはアマゾンのジャングルでおそらく数千年以上かけて、完成されたもの。
文明が入り込む余地が少ない(今ではサンフランシスコ村にはネット回線が通っているらしい)、自然と調和したジャングルの環境でアヤワスカのワンネスを経験するのは自然なことだが、私たち日本に生きる文明人にとってワンネス世界へ足を踏み入れることには危険が伴う。
それは都市文明があまりにも"分離"しているから。
ワンネスと繋がり愛に目覚めオープンハートで東京のコンクリートジャングルに帰ってくると、閉じたハートの分離スクエアにぶち喰らい、どんどん心が荒んでいった。
当時、誰も私に"統合"や"グラウンディング”のプロセスを教えてくれなかった。
それもそのはず。ジャングルで生きるシピボ族のシャーマンは日本を知らない。
自然の中で生活する彼らには”グラウンディング”はそもそも必要ないのかもしれない。
私はぶっ飛んだ精霊のワンネス世界に魂を半分置き去りにしたまま、日本に帰ってきてしまったんだ。

統合の大切さ

これはあくまで私が10年以上前に体験したアヤワスカセレモニーの話。統合もちゃんとしてくれるシャーマンは他にいるのかも知れないし、英語すらまともに話せなかった当時の私の語学力に問題があったのかも知れない(その後、イギリスに留学。猛勉強して今では英語は流暢に話せる)。

その後はブラジル起源のサントダイミと言う教団のセレモニーによく出入りをした。キリスト教とアヤワスカがミックスされた新興宗教で、アヤワスカを飲んで日中、歌って踊る。
深夜から始まり、横になって受動的にシャーマンの歌を聴き続けるペルーの儀式よりもダイミの方が安全に感じた。
歌と踊りがトリップの命綱になってくれる。

私は今、ここに生きている

どんなにワンネスを経験しようと、生きていくのはこの分離した地球という現実なのだ。
分離してるからこそ、歩み寄り、学べることがあるから、分離そのものを否定してもしょうがない。
資本主義の未来は暗いかも知れなくとも、今現在はお金のパラダイムでこの社会は成立している。
"今”目の前に起こっていることを否定してもしょうがない。
”今”を受け入れて立ち向かうことでいつだってセレモニーが始まる。

私は日本という”今”を否定し続け、アマゾンのワンネスを崇拝し過ぎたからうつ病になった。

このようにアヤワスカがきっかけで鬱病になったおかげでYouTube活動を続けることができている。
私はサイケで痛い目を見た人間で、サイケに人生を救われた人間。
両極を経験したからこそ、今がある。

今だから言えること、
起こる全ては必然だった。
"今”というかけがえのない奇跡へ、感謝を。

次回は
「サイケデリックスで鬱から回復したプロセスについて」

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