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意識とはなにか~読書記録342~

2003年、脳科学者・茂木健一郎先生の著書。

太陽の輝き、朝のコーヒーの香り、小鳥のさえずり…私たちの意識は鮮やかな質感(クオリア)に満ち満ちている。物質である脳が、心の中に、そうしたユニークな感覚を生み出すのはなぜか?そして、すべてを感じる存在としての「私」とは何ものなのか?人類に残されたこの究極の謎を解きほぐす鍵は、他者との関係性の中でダイナミックに変化する脳のはたらきにある。既存の科学的アプローチが解明できずにきた難問に新境地を展開する画期的論考。
私たちの意識が、脳の一千億の神経細胞の活動からどのように生まれてく るかということは、現代科学の最大の難問だと考えられています。この問題をつきつめて考えていくと、<私>がどのように生まれてくるかという問題に到達します。本書の結論は、<私>は常に生成され、ダイナミックに変化しつつも、意識の作用によって同一性を保つ、不思議な存在であるということです。私たち人間は、どんなに退屈していると感じる時にも、常に生成としての存在を生きています。平凡におもわれる<私>も、実は驚くべき自然の創造性の現れなのです。(出版社紹介)

クオリアとは、もともとは「質」を表すラテン語で、1990年代の半ば頃から、私たちが心の中で感じる様々な質感を表す言葉として定着してきた。(本書より)

確かに、物質としての脳が意志を持つこと。考える事。これはどうしてなのか?ニューロンの働き?

茂木健一郎先生は若い時からずっと考えてきた事なのだろうと思うが、私の感想は一言。
「これは科学ではなく哲学の分野」ではないだろうか?だ。
書いてある内容は、紀元前にソクラテスやアリストテレスらの言ってきた事とあまり変わらない。
アリストテレスは数学者でもあるので、考え方自体が似ているのかもしれない。
ただ、科学者というよりは哲学者だな。
失礼ながら、脳科学って日本の大学にはないような気がするのだ。

中野信子先生など、脳科学者を名乗る人物もやはり何故か胡散臭く感じてしまうのだ。

やはり、茂木健一郎先生のような方は、南住職のような方にお任せしたらいいのかもしれない。

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