藤の花
藤の花を見ると想い出す人がいる。
「今、何時?」
「今日は何日?」
その女性はよく聞いた。
ただ寝ているだけの日々。それまでは同居していた家族の分の家事をも全て引き受けていたのに、骨折してしまった事を境に、彼女の生活は変わってしまった。
その部屋は暗く、テレビもラジオも新聞の時計もカレンダーもなかった。窓は開けないで欲しいと言われる為、家族には逆らえなかった。
自宅での介護ではオムツ交換を全てがヘルパーがするわけにはいかない。いくらかは家族も請け負う必要がある。
同居する実の娘、孫から「役立たず」と。清拭も冷たい水でされていた。
そこの家では、奥様の実家に旦那様が住むという形だった。玄関には2つの名字の表札があった。
食事は全てヘルパーが来た時に食べることになっていた。
だが、あまりお腹が空かないのか、食は細かった。
骨折した老人を家族が抱えた場合。整形外科に通いリハビリをさせるか、寝たきりにさせるか。寝たきりにして、訪問看護、訪問介護にお任せをその家族は頼んだのだ。
認知症はなかったはずなのに、頭もハッキリしなくなる。何故なら、刺激がないからだ。
想像してみよう。部屋から出られず、テレビや新聞などの情報はおろか、カレンダー、時計すらない状況を。
引きこもり君たちには、スマホとパソコンがあるではないか!
「その服の色、素敵ね。藤色ね。私は藤の花が大好きなの」
「藤の花を観たい・・・」
ある日、私が着ていったUNIQLOのカーディガンを観た時に、その方は言われた。
私は言葉が出なかった。
私以外の、多くの先輩ヘルパーさん、看護師さん、区役所職員、医者、ケアマネは、この状況を辛く思っていた。何とかしたい、と。
単純な人間の私は、
「お尻を拭くのに、タオルを電子レンジで熱くしたいので貸していただけますか?」
と家族に言った。
「洗面所の蛇口からは湯も出るだろう。それを使え」
との事だった。
アンタラ、自分が介護される側になったら、蒸しタオルの有難味がわかるでーー。
その後、役所の方などの頑張りで、その方は老人ホームに入所することになった。
当時の上司(私にはやはり介護など無理だった。数年ともたなかった。。)からの嬉しい報せ。
「○○さん、老人ホームでは車椅子で生活して笑って楽しく過ごしているって」
「寝たきりの要介護5じゃなかったんですね」
「老人ホームでは刺激もあるし、日付も時間もわかるし、食も出てきたって」
この話から想い出すのは、バーネットの「秘密の花園」のコリンである。
家族から育児放棄され、部屋に閉じこもっていた。寝たきりであるから、当然、筋肉もつかず、食欲もわかない。
アメリカのテレビで話題になる、寝たきりで食べてばかりの肥満体の方は、体質が違うのだろう。
自分で「歩けない」と思い込んでいただけだった。
人は、環境、他者との交流で変わるのだ。
私は藤の花を観るたびに、その方を思いだすのだった。