カッコイイ本堂 墨田区向島 黄檗宗牛頭山弘福寺 私の百寺巡礼275
日本の禅宗は3つある。臨済宗、曹洞宗、黄檗宗だ。
これを知ったのは、五木寛之先生の本からであった。
黄檗宗?しかも字が読めん。。。
おうばくしゅう、と読むらしい。
関東では浅草近くにある向島の弘福寺があると知った。
江戸時代前期の1673年(延宝元年)、黄檗宗の僧鉄牛道機の開山、稲葉正則の開基により香積山弘福寺を現在地に移して建てられた寺院である。江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。関東大震災で罹災したが、1933年(昭和8年)に再建された。
境内の祠には石造りの爺像(高さ55cm×幅45cm程度)と婆像(高さ75cm×60cm程度)からなる「咳の爺婆尊」が祀られており、風邪やインフルエンザの予防を祈願する参拝者が訪れる。制作した江戸時代の禅僧・風外(ふうがい)の名が「風(邪)の外」に通じるとして、風邪除けのご利益があると信じられるようになった。
松雲作といわれる釈迦如来像を本尊とし、山門、本堂の屋根などに唐風の建築様式をみることができます。勝海舟も青年時代にこの寺で修行したと伝えられ、関東大震災まで森鴎外の墓もここにありました。名入り根付、咳や口中の病によくきく「咳の爺婆尊」などがよく知られ、咳止めの飴を買い求める参拝者が多くいます。(墨田区のページより)
はいい。友人の分も買いましたー。
臨済宗、曹洞宗とはかなり雰囲気が違う。中国的な建物なのだ。
臨済宗は栄西禅師、曹洞宗は道元禅師が創始者。つまり、日本人だ。
黄檗宗は江戸時代に中国の隠元禅師により始まったもの。京都・宇治市の萬福寺が総本山だ。
向島の黄檗宗の弘福治寺の本堂も、萬福寺に似ている。
隠元禅師!で想い出すのは、インゲン豆だ。
今では、普通に和食として、胡麻和えやら煮物で食しているが、隠元禅師が日本に持ち込んだのだ。感謝ーーー!
こちらが、咳の爺婆尊だ。私が参拝した時には、コロナ封じとあった。
境内右手に風外和尚禅師(寛永年中の人)自刻の父母の石像があります。風外禅師は相州真鶴(神奈川県真鶴町)山中の一洞穴で求道生活をしていましたが、自ら刻んだ父母の像に、朝夕の孝養を怠らなかったといわれています。その後小田原城主の当山開基稲葉正則公が、風外和尚の温情に胸打たれて、江戸下屋敷にて供養をしておりましたが、同公の転封に伴い、菩提所である弘福寺に祀らしめたものです。
風外和尚の「風邪の外」の文字より風邪除けのご利益があろうと民間信仰を集めております。人呼んで「咳の爺婆尊(せきのじじばばそん)」と称し、口内にやむものは爺に、咳をやむものは婆に祈願し、全快の祈り、煎り豆に番茶を添え供養する習わしが伝わっています。
私は東京は、新宿や渋谷辺りの若者の街よりも、山手線で言うと右側の旧い街が好きだ。台東区、墨田区、江東区、などなど。江戸の街を思い起こす街並みが好きだ。
ここ、弘福寺もそれを感じる場所であった。
対応してくださった住職様は、本当にお話しの好きな方で、黄檗宗について、江戸の町について、池波正太郎先生の話について、と楽しい時間を過ごした。有難い。
そして、神奈川県の小田原市に黄檗宗の素晴らしいお寺があるよ、と黄檗宗寺院の住所録コピーをくださった。
おおおお!又行く所が増えたじゃあないか。
いつまでも江戸情緒が残って欲しい。そう思うのであった。
黄檗宗牛頭山弘福寺
東京都墨田区向島5丁目3−2
押上駅より徒歩15分
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