人は死ぬ
私は死ぬのが怖い。
あの世とかに行った時に、祖母から責められるのだろう。
小学生の時、私に恨み言を言いながら死んでいった祖母。
私が自動車の座席を変わらなければ祖母は亡くならなかったのだ。祖母の怨念が私を陰気な少女に変えた。
もう許してもらいたい。。。
自分が生きていて喜んだ人間はいない。
あの時にハッキリとわかったはずだ。
皆から嫌われてバカにされて。
そんな私をバカにしたり虐めたりせずに受け入れてくれたのが、キリスト教の学校のクリスチャンのアメリカ人や学生たちであった。
私は信仰など持たなかった。教会に行ったり、キリスト教のサークルやボランティア活動に参加したのは、所詮、雰囲気なんだろう。
そんなことから、自分に一番近いのは明治の文豪・北村透谷だと思う。
明治初期、プロテスタントの信者になったが棄教。
芝公園・増上寺の近くの桜の樹で自ら命を絶った。
芝公園の桜を観ると、「自分も透谷みたいに」と思う年月を送ってきた。
もしも戦争がなかったら、伯父は満州に行くこともなく、家を継いでいたのだという。
祖母は、「あの子が生きていたらお前みたいな孫と暮らさなくても済んだのに」とよく言っていた。
悲しいかな。
私は、顔も、不器用で、気が短い所も祖母そっくりなのだ。祖母の短所
だから祖母は私を嫌ったのだろう。
矢作直樹医師の「人は死なない」には、オカルト系の話が多く出て来る。
青森のイタコに弟の霊を呼んでもらっただのが感動的な話として書かれている。
私は亡くなった人に会いたくはない。
どんな恨み言を言われるのか怖いから。
罵られるのは今一緒に暮らしてる人だけで充分だ。
人はいつかは死ぬのだ。
そして、その後はわからない。
私は、青森県の霊媒師など信じていない。
ましてや、幸福の科学の大川隆法のようにインチキな霊媒師なんて嫌いだ。
誰もわからない。わからないものはわからないでいい。
今は、そんな気持ちだ。
そして、あの世に先に行った祖母に許してもらえるように、日本各地の弘法大師様を探し、祈っている。