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お寺は誰のもの?か!

Xで気に入らない投稿をエゴサしては意地悪く笑いものにするアカウントがある。

余計なお世話というか、酷い!意地悪だ。

私の投稿でのマーカーは、1992年さんが付けたものだ。
他の方との会話を拾って、私宛に嫌がらせのコメントを付けて送ってきていたのだ。
この、「ぶんぶん君」との会話は、「ちょっと待てい!!」と言いたい。
反ワクチン接種だの、医療不信だのに関係ない会話だったし、彼とは、ダウンタウンの番組好きで知り合ったのだ。大学卒業後に正社員になったものの、色々と苦しみ、突然の解雇。そんな会話をしていた。
一緒に頑張ろうね、と。
その後、彼は労基に相談にも行った。絶望の中、夢に向かい、R1などにも出場したのだ。
彼を巻き込むのは辞めい!
あと、この私の投稿のどこから自殺が感じられるのか?

私と、休職中さんの2人だけの問題にも絡んできて、嫌がらせを仲間たちとする。
見ると、1日エゴサ?とかいう日もあるし。

たまにお経を読む。なんて一般人でもすることもあるので、飛ばしていたのだが・・・

数百年続くお寺の娘らしいのだ。


先に画像を載せた件は、家族を亡くして悲しむ遺族に対しての酷い言葉だ。
一般人なら悔やみの一つも言うよ。
あまりにも傲慢すぎないか?
お寺で生まれ育ったと知り、この傲慢な態度に納得した次第だ。

ここで、1つの疑問点が出て来る。

どうして、お寺って世襲制が当たり前なんだろう?寺自体は固定資産税はないはずであるのに、寺の家族が「自分の持ち物」のような感じでいる。先祖代々、受け継いだ自分たちの土地という感覚だ。
上杉茂憲のお墓参りにと港区白金の臨済宗寺院を訪ねたところ、インターホン越しに「檀家さん以外は立入禁止。庭にも来るな」と言われた。家族の団らんの場なのに固定資産税はなし?か!
住職は真面目に正しく法要を行っているのに、家族がなんかな。。。という例。全国の寺を廻り、いくつも見て来た。
例えば、私の叔父の菩提寺。うちは無人寺で僧侶が掛け持ちしているのだ。
寺の庭に、そこの家の娘が犬の訓練施設なるものを作っている。埼玉県警察犬訓練所とかで、それがお墓に行く入口にあるもので、吠え立てられて、知り合いのお墓参りを断念した。
住職夫人に文句を言ったら、「耳が遠くなってねえ」と。

キリスト教会であれば、カトリック教会、日本基督教団、ルーテル教団などの組織に属し、どこかに派遣される。牧師一家もいつか引越するかもという、その気持ちは持っている。ここは仮の住まいという意識が見えるのだ。
あくまでも、教会は信者の物。その気持ちだ。

だが、観光客が集まる大きな寺は別として、小さなお寺は「ここで生まれた家族の物」という意識を強く感じるのだ。
東北某所に住む私の友人にもそういう所を感じる。在家出身よりも寺で生まれた人の方が偉いという意識だ。

だいたい、在家出身という言い方もどうなんだろう。
先にあげた、意地悪な女性は、たまたま歴史ある浄土真宗のお寺に生まれただけ。僧侶になる学校、修行などとは無縁だ。お寺の仕事を手伝っているに過ぎない。
それを、「寺族の者です」と、あたかも日本の仏教の顔みたいな傲慢さ。
鎌倉市円覚寺の横田南嶺老師、曹洞宗の藤田一照禅師、南直哉禅師などなど。在家出身の方の方が真剣さがあるし、傲慢な所がない。

江戸時代までは、お寺は修行の場であったのだ。時代と共に変わっていくのは仕方ないにしても、傲慢な態度は許せない。

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