学校と学び
いきなり本題になってしまうが、私は、あの父親の投稿が不快で仕方がない。
いきなりの賢いキャラクターに代わり、乗っ取られたと言っていたが、どうやら利益を得ることが目的の会社法人が関わっていたらしい。
小学校3年生から何の勉強もしていないのに、いきなり難しい熟語やら英語やら出て来るはずはない。
ここからは、ワタクシ個人の意見なのだが、中村ゆたか君は不登校なのだろうか?
現代社会における不登校というのは、「学校に行きたくても行けない」状態だと思う。虐めやら、障害やら要因はあるだろう。
昭和の時代には、「登校拒否」という言葉があり、いわゆる未成年で酒や煙草。無免許運転などの生徒が「かったりいいい」と学校に行かずに繁華街で遊んでいる。そのような人たちであった。
中村父はその部類に入る。
そして、息子も、心が弱くて学校に行くのが怖い、キツイなどではなく、「かったりいいい」」の登校拒否なのではと思っている。
確かに、スリースクール、オンラインでも学べるだろう。そこは、親なら感謝して、他人に対して「アンチ」だの「クズ」だの言う必要があるのだろうか。学校に行く事が本当に出来ない人間もいるのだ。
ここで、私が言いたいのは、ミステリー作家仁木悦子さんだ。
彼女は、幼児期に胸椎カリエス(結核)で、下半身麻痺の状態となって幼稚園を途中で退園。小学校にすら行っていないのだ。両親が早くに亡くなり、兄の元で暮らし、自宅で勉強し、本を読み、1957年に江戸川乱歩賞を受賞。第3回であるが、それまでは世間一般に名の知られていた人たちが受賞で、全くの新人で、新たな新人推理作家の登竜門を導いた人でもある。日本のアガサ・クリスティーとも言われている。
今のように、携帯電話がありインターネットがあり、寝ていても検索できる、コミュニケーションできる時代ではない。もちろん、フリースクールなんぞない。車椅子で通える公立校なぞない時代であるから仕方ない。だから、現代ならば、養護学校に行ったのだろうか。或いは、バリアフリーとなった学校へ行けたのかもしれない。
身体に障害を持った人が学べるように社会が、学校が変わった事は喜ばしいことだ。そういう実情を知らずに、生意気な事を言っている中村父に対しては不快でしかならない。
又、学校に行けない者の中には、担任や学区が変わると行ける者もいるかもしれない。安易に、お金儲けの手段にして欲しくない。
尚、仁木悦子さんの本に出て来る仁木兄弟の兄は、長身でスリム。
葬儀に参列された編集者の方の解説を読んだら、仁木さんのお兄さんが、本に出て来る仁木雄太郎さんそのものであったと書かれていた。
素晴らしい家族だったのだと思う。