お坊さんが隠すお寺の話 村井幸三~読書記録335~
2010年 仏教研究家の村井幸三氏による著書。
日本人から信心が失われて久しい。それでもお寺は、「葬式仏教」を頼みに、かろうじて生き延びてきた。しかし、法外なお布施や戒名料ばかりを要求する一部住職に、檀家さんの我慢は限界寸前。結果、仏教に頼らない葬儀が急増、さらに過疎化や後継者難の影響もあって、地方の末寺は崩壊の危機に……。自業自得の日本仏教に、再生の道はあるのか。お坊さんが黙して語らない、それでも知っておきたい、現代のお寺事情。
第1章 菩提寺は変えられる(菩提寺は突然やってくる;菩提寺のはじまり ほか)
第2章 お寺が危ない(お寺も諸行無常;本山も隠す空き寺 ほか)
第3章 お寺はなぜ消えていくのか(あなたは宗教を信じますか;お寺からなくなったもの、残されたもの ほか)
第4章 お葬式はどうして仏教なのか(お葬式をしないお寺;釈迦仏教はお葬式とは関係がない ほか)
第5章 お寺に未来はあるか(仏教界に欠ける危機意識;お寺から斎場へ ほか)
著者等紹介
村井幸三[ムライコウゾウ]
1925(大正十四)年福島県生まれ。仏教研究家。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒業。農林省、福島民報、福島テレビに勤務。1985年頃より仏教史の研究に没頭。
本人は「仏様大好き人間」を主張する。真言宗信徒。
ほとんどの国民は、仏教とはお葬式行事のこと、ご住職は葬式の司祭者、迷信絡みの拝み屋、そしてお墓の世話人としか見ていません。
私のような仏様大好き人間には、とても見過ごせない惨状です。(本書より)
著者は一貫して「葬式仏教」としての役割しかしない多くのお寺の在り方について問題を追及している。もちろん、全てのお寺がそうではないし、今のようなお寺になってしまったのは、江戸時代に出来た檀家制度、葬儀はお寺での仕組みもある。又、明治時代になってから僧侶も妻を持って良いとした政府の政策。それもある。
本来のお寺とは祇園精舎だ。現代日本のお寺とはだいぶ違う。
元々、天皇家も仏教信仰があった。天皇自身が建立された寺院もある。
明治維新に神道に改宗することになったが、歴代天皇の菩提寺は、こちらである。
宗教学者にも色んな立場の方がいる。それは最近思うことだ。
この方は真言宗の信徒であり、仏様が大好きなのだ。だからこそ、今のお寺の様子に居ても立っても居られない。そんな想いを感じた。
この本はお寺関係者が読むと多くの方が怒るかもしれない。特に戒名の件についてだ。
著者と同じく、私も戒名は要らないと思っている。悟りきってもいないのに、付けられてもなと思う。今まで仏教式の葬儀に参列して思うのは、頼んでもいないのに戒名を勝手に付けてお金を取るのか?という事だった。
個人の遺言で付けて欲しいならわかるのだが。
私個人の意見は、生きている間に法名なりを自分の意志で付けたらいいのではないかということだ。
確かに戒名料は高い。葬儀も高い。それも色々と仕方ない面もある。
お寺側の言い分もあるだろうが、国民の多くは、この本に書かれている意見と同じなのではないかと思うのだ。