カルネアデスの舟板~読書記録140~
昭和32年に発表された松本清張の短編小説である。
犯人捜しというような警察官が出て来るものではなく、主人公である歴史学者で大学教授の心理状態が細やかに描かれている。
昭和20年代から30年代の社会情勢をも反映した作品である。
歴史学者である主人公・玖村武二は歴史科の教授であった。玖村は終戦後、進歩的な唯物史観を展開し、日教組から喝采を浴びていた。歴史教科書の執筆担当になった彼は、教科書会社から莫大な収入を得て、田園調布に自宅を建てた。玖村は、講演旅行の際、かつての恩師・大鶴恵之輔を訪ねることを思いつく。大鶴は戦時中、国家的な歴史観を講じたことが原因で大学を追放されていた。大鶴は玖村に大学復帰のための運動をしてくれるよう懇願してきた。かつての恩師の卑屈な姿勢に自負心をくすぐられた玖村は、大鶴の求めを承諾する。復帰した大鶴は、進歩的論者へと急速に変貌した。玖村は、昔の豊かな生活に帰るためになりふり構わぬ恩師を冷ややかに傍観し、嗤っていた。しかし、大鶴が参考書を頼まれるようになり、玖村に追いついてくると、次第に大鶴は玖村にとって面倒な存在になっていった。時代が変わり、文部省は左翼偏向の教科書を不合格とするようになった。玖村は進歩学者を返上し右翼に帰ろうとしたが、その矢先、大鶴がいち早く転回を宣言する。教科書・参考書の執筆による豊かな収入を失うことを恐れた玖村は、大鶴の追い落としを画策する。
時代的にマルクス主義が流行ったり、左傾向の教科書が好まれたり。
歴史とは、過去の事実でもあるが、その時の思想により変わる。
それは戦後の日教組の強さを観ればわかるだろう。
私が、この短編小説を知ったのは、実は東北大学の田中英道先生の著書からであった。
「新しい歴史教科書をつくる会」の元会長である。
古事記、日本書紀をどうとらえるか。かつての日本は階級などどうであったのか?などなど、私たちは歴史教科書で学んだつもりでも、本当は知っていないのかもしれない。