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灸をする(5)

積聚会名誉会長 小林詔司

『積聚会通信』No.10 1999年1月号 掲載

『養生訓』には施灸するときの姿勢について触れた箇所がある。「坐して点せば、坐して灸す。臥して点せば、臥して灸す」(巻第八、38節)という言葉である。つまり坐位や横になった姿勢で灸をする場所に印をつけたならば、その姿勢のまま施灸しなさい、ということだ。これは一旦印をつけた部位に灸をするときは何時もその姿勢を取りなさいということである。このことは皮膚上に灸をするとはいっても、単に皮膚を焼いているのではなくその深部が灸の対象となっていることを示しているからだ。
 
年をとると皺が出来て皮膚はだんだん緩んでくる。たとえば仰向けからうつ伏せに体位を変えるとき、ややもすると背中の皮膚は引っ張られ、本来ならば真ん中にあるべき皮膚が横に数センチもずれることがある。このような場合、これまでの灸痕は大きくずれる。同じことが坐位と臥位の関係でも見られる。坐位になると全身の皮膚は胸椎一つ分程大きく下方に弛む。
 
施灸にはある程度の時間を要するから、患者には疲れないような姿勢をとらせなければいけない。つまり施灸の時には施灸しやすくて楽な姿勢を取らせる必要がある。
 
あるいは艾が落ちないような姿勢も必要だ。艾炷が下を向いたり横を向いている状態では安定した施灸ができない。火は上昇するのが道理だから艾炷が下を向いているほうが火力が強く感じられるが、これは実際的でない。
 
ところが病症と密接に関係した施灸の姿勢というのもある。それは呼吸に関する病症、たとえば強度の喘息や深い咳嗽などの場合であるが、これは坐位で施灸するのがよい。積聚治療の基本治療の後施灸する部位は背中であったり胸部任脈であったりする。いずれにしても臥位よりも坐位の方が胸郭の緊張がなく息を深く吸ったり吐いたりすることができるから、坐位の方が灸の効果が大きい。つまり熱がよく透ると考えられるからである。しかしこれ艾炷を垂直に近い面に置かなければならない姿勢なので、いささか熟練を要することでもある。また多壮灸の場合、動かないで座しているのは患者さんにとっても決して楽ではなく、何か体を支える工夫が必要になる。
 
さて姿勢の話を鍼にまで広げればまた似たようなことがいえる。鍼は原則として下方に向けて扱うものだから、常に皮膚が鍼先の下に来るような姿勢の方が好ましく鍼も安定する。しかし往々にして、うつ伏せになれないとか、横になれない、ベッドに上がれないなどの患者さんが現れる。その患者さんの取れる範囲の楽な姿勢のまま鍼をしなければならないのだから、鍼を構える位置に工夫がいる。患者さんが不安定な姿勢のままで素早く鍼を扱いある程度の影響を病体に及ぼすには、これもかなり熟練が要求される。