言葉のアクセントから見た四国邪馬台国論

なんて、仰々しいタイトルですが・・・。

縄文時代って、どんな言葉をしゃべっていたんだろう? そんな疑問が浮かんでネットで調べていたんですね。

で、目についたのが「京阪アクセント」ってコトバ。

「京阪アクセント」ってなんじゃい? 

読んで字のごとし。京都と大阪を中心としたコトバのアクセント。中心っていいかた、あれなんだけど。<(_ _)>

で、この京阪アクセントについて調べると、不思議なことがいくつか。

・京都、大阪で使われている(まぁ、当然です)

・和歌山、奈良、三重、滋賀、兵庫もこのアクセント(一部違うとこもあるけど)

・四国もこのアクセント(山間部はちょっと違うアクセント)

で、中国地方はアクセントが異なるんですね。そ、当然のように東海地区も。

そこで思ったのが、じゃあ、九州はどうなんだろう? って。そう、縄文時代の言葉を調べようと思ったきっかけは、邪馬台国ってどこにあったんだろう? ってことが頭をよぎったから。

すると、またまた、不思議なことが分かった。そう、九州に邪馬台国があった、という説がありますね。今の福岡県と佐賀県を中心とした北九州説。

ここはアクセントが入り乱れるんです。福岡と佐賀ではアクセントが全く異なるんですね。

さらに、さらに。もうひとつ。出雲。今の島根県の出雲市。そう、出雲大社のあるところ。ここは、周りが「中輪東京アクセント」なのに、出雲大社の付近だけ「外輪東京式の変種1アクセント」なんですね。

しろーと考えですが、弥生時代とはいえ、魏と交易をするような国であれば、わりと大きな文化圏を持っていてもおかしくはない。

文化圏といえば、コトバが大切なんではと。共通のコトバがあって、意思の疎通もカンタンにできるし、争いごとがあっても解決しやすい。

そう考えると、京阪アクセントで話す地域って、邪馬台国だけでなく、大和朝廷、そして平城京、平安京って続いていきやすい。さらに、お伊勢さんがある地域も京阪アクセント。

「でも、アクセントの研究って最近の研究じゃない?」

そう。でも、もとになったコトバって、ずっと昔から使われてきてコトバといえます。つまり、同じ文化圏であったとも。

神武東征が現実なら、やっぱり四国かもと

古事記の神武東征のところを読むと、「岡田の宮」に1年、「タケリの宮」に7年、そして「高島の宮」に8年おいでになった、と書かれています。

この文章からだと、通り過ぎたのではなく、住んでいた、と取れます。住んでいたから共通のコトバになっていったと考えると、京阪アクセントの広がりが自然なんですよね。

ほかの地域は、コトバの連続性がないんですね。出土品がありますから、当然のことながら、国はあった。でも、大きな文化圏ではなかったのではと。

先にもお伝えしましたが、四国から神武天皇が出発して、東へと歩みを進めたなら、そして、所々で時間を過ごして、大和に到着したのなら、このようなコトバのつながりになるでしょう。

魏へはどんなルートを使ったのか?

卑弥呼さんや台与さんが、魏へ使者を送るときは、太平洋に出て、四国と九州の間を通り、壱岐から対馬、そして半島へ向かったと。小さな船なら、現在もこのようなルートが一般的と聞いたことがあります。(うろ覚えでごめんなさい。このことについて、)

では、なぜ、瀬戸内海を使わなかったのか? という疑問が。瀬戸内海を使わなかったのは、難所が多い海域であるということ。現在も座礁などの事故が起こる難所とされています。

あと、アクセントで見ると、四国と、瀬戸内海に面する、岡山、広島、山口は、コトバのアクセントが全く違います。つまり、頻繁に往来がなかった、といえますし、ひょっとしたら、敵対しあっていた、とも考えられます。

だから、太平洋を回るルートで魏へ向かった、のではないかと。

ここまで、私の勝手な考えを書いてきましたが、もう一度、アクセントで色分けされた日本地図を見ると、やっぱり、四国と関西ってひとつの文化圏なんだよなぁ、って思うんですね。

で、次に気になるのが、縄文時代から弥生時代。卑弥呼さんや台与さん、そして邪馬台国の人々はどんな言葉をしゃべっていたのだろう? ということです。

今日、図書館で縄文時代のコトバに関する本を予約したので、次のお休みの日にじっくりと読もうと考えています。楽しみだわ (*^▽^*)






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