幸せとはもしかして、何も考えない事
表現が難しいのだけど、私は物事の見方におけるハードルがとても低いと思う。
自分にない物を持っている人は等しく凄い。
お店で店員さんが丁寧に対応してくださると一日思い出して嬉しがる。
苦手な食べ物が少ないせいかだいたい何を食べても美味しい。
芸術の良し悪しがいまいちわからない(自分ができないからだいたい凄いので、音楽ならあからさまに音程やリズムが外れていないとわからないため格付けチェックのお高い楽器は大方外すし、プレバトも口開けて見てる感じです。何が駄目なのかわからない)
自分にとって損になる部分はまぁ自分で埋めたらいいし……という思考なので、与えられた条件が周りにとってはいまいち良くないものでも「まあなんとかなるでしょ」という気持ちで生きられている。
不満要素が少な目でいられるので、この考えを持っていることで恐らく多少は得をしている。
衣食住が確保されていて、仕事もあって、大きな病気や事故をしない限りは安心して過ごせていて。
加えてこうやって自分の思考と向き合う時間もあって。勿体ないくらい贅沢じゃないかなぁ。
少々の損に目をつぶるあたり、我ながらすごく騙されやすそう。
いかがでしょうか、ここにカモがいますよ。
もしかしたら頭が悪いと幸せを得やすいのかもしれないな。なんも考えてないから。書いててちょっと悲しくなってきました。
正直欲を出すならもっとお金が欲しいし時間も欲しい。
さらなる上位の幸せを目指せる今も幸せということで。
どうしたら目指す方向に行けるのか、改めて自分は何をしたいのか。今一度考えてみよう。
『書く習慣 Day29 自分にとっての幸せはどんな状態か』でした。
自分の頭の悪さを再認識できました。ひどい自己紹介!
もうちょっと思慮深い人間になりたいものです……。
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