どうやら私は、掃除ができないらしい
「掃除ができない人」というレッテル
私はとにかく掃除ができないらしい。
家族・パートナーから「なんで掃除できないの?」とよく言われる。
今でこそ言われすぎてコンプレックスに感じているけれど、このことを自覚したのは、ひとりぐらしをはじめてからだった。
むしろ高校くらいまではキレイ好きだったと思う。(一時期、軽めの潔癖症だったことも要因ではあるが、自室が汚かった覚えはない)
新卒で突然、馴染みのないところで生活することになり、親の目もなければ、自分で使えるお金が手元にはいっぱいあって、正直浮かれてたところもある。もともと持っていた収集癖(無料でもらえる映画のフライヤーとか、好きなバンドのCDとか)が爆発して、雑誌を買うわ、服を買うわで気づいたらワンルームが物でいっぱいになっていた。
そして仕事は、朝から深夜までに渡る職務だったので、家では本当に寝るだけの生活。洗濯物も、仕事のユニフォームを頻繁に洗わないといけなかったため、自然と私服は洗う回数が減る。もちろん、部屋をこまめに掃除するなんていう発想は毛頭になかった。
一度、母が当時の家に来たことがあり、その惨状に絶句していた。
「足の踏み場がない…。」
本当にベットの上以外は足の踏み場がなかったのだけれど、そんなことが全く気にならなかった。そのセリフを聞いて初めて、「私ってもしや掃除できない人なのでは?」と気がついたのである。
家の掃除はできないけれど、会社の掃除はできる
一方で、会社での掃除はむしろ得意であった。
これも決して掃除が好きだからではない。おそらく「仕事中に暇になるのが嫌」というのと、「キレイに使いやすい整理整頓方法を考えるのが好き」という特性が功を奏した結果に過ぎない。
-仕事中に暇になるのが嫌
あえて解説するほどではないけれど「お金が発生している時間は、何か貢献できることをしよう!」という真面目な気質があるゆえだ。
そしてその時間を掃除に当てていたのは「来客の人にキレイな会社という印象を持ってもらった方が良い」「整っていた方が探す時間・人に聞いて探してもらう時間が減って効率があがる」という、なかなかちゃんとした理由を持っていたからで、積極的に掃除や環境整備に取り組んでいた。
-キレイに使いやすい整理整頓「方法」を考えるのが好き
私の考え方の癖でもあるのだけど「ルールを作って守ってもらうより、デザインやシステムで人の行動を促して解決しよう」と発想するところがある。
そもそも自分が「理由の正当性のないルールを守る意味がわからん」という、社会性ゼロな性格だからなのだけれど。
例として、前の会社の時に、”なぜか保管してある大量のFAX”を捨てるシステムを作った。(システムというほどのことじゃない)
出版社なので、いわゆるプレスリリースのFAXが毎日死ぬほど大量に届く。とにかくそれが目障りで、本当は全ての送り先に「うちはFAXいりません」と電話したかったのだけど、部長にとめられた。
しかも、部署の人が目を通して保管が必要と判断されたものは、棚の一箇所に無造作に突っ込まれていたのだが、それについても「絶対読み返さないだろ!」と思っていた。
が、独断で捨てるとまた止められるし、どうにかしたかったので、部署の人にヒアリングを行った。「食関係」「美容関係」「レジャー関係」など項目ごとに、「どのくらいの保管期間が必要か?」「どういう風に活用しているか?」を聞いた。
そこから、項目ごとに「今週」「先週」「先々週」、「今月」「先月」など FAXがきた期間ごとに指定の場所に入れて、先々週・先々月を過ぎたら捨てるという風に、一箇所の棚の中の許容量に基づいて捨てるタイミングを決めた。
と、こんなに長く書くつもりもなかったけど、本当に些細なことでも改善策を考えるのは面白かった。
実際、使う側も今までの「適当に放り込む」からすると「該当する場所に入れる」というほんの少しの負荷でキレイが保てるし、それすらできないという忙しいお方のために「ひとまずここに入れてBOX」という逃げ道も用意したいた。
これが社内的にすごく評価されたとか、そんなことは全くないけれど、
「掃除ができる≠システムを考えられる」ではないんだなと分かった。
ちなみにデスクは必要最低限の整理しかしておらず、文房具は基本引き出しの中に適当に入れていた。会社内で不要になった本や食料品などを、在籍中はよく拾っていたので、辞める直前はめっちゃ汚かった。
身の回りの掃除ができない3つの理由
話は戻って「なぜ家の掃除ができないか?」というのには、以下の理由があると思う。
そもそも掃除ができる人は「整った状態が好き」「掃除をすると達成感がある」という人が多いように思う。苦手だけれど家族のためにと、重い腰を上げてやっている人は本当に素晴らしい。
故に、私のような態度は怠惰であると言われることが多い。それは③にも出てくるけど、多分そう。自覚しているので、そこだけを責めないで、お手柔らかにお願いします。(と、家族とパートナーに伝わるといいな)
①さほど困ってない(と思っている)
何か必要なものを探す時、おおよそどこにあるか分かっているため、整理整頓ができていない状態でも別にいい、と思い込んでいるのだ。
しかし今は昔ほど記憶力もなくなり「あれどこやったっけ?」ということが増えているのも事実だ。あと、混沌な状態から突然見つけ出すと、なんか新鮮というアホみたいな理由もある。
②得意なことと苦手なこととある
私は水回りの掃除は積極的にやる方だ。料理をすることも関係するが、衛生面が気になるのでお風呂掃除なども定期的にする。特にお風呂掃除は小学校の時から、気になると集中して全部綺麗になるまでやってしまう、というところがあった。
一方で、劣化や状態の変化がないものの掃除は苦手だ。例えば、本。
本は腐らないので「まぁ後でいっか」となりがちだ。そして乱れた状態になってから「うわ、汚い!」となる。
③とにかく、めんどくさがり
これが一番でかい。掃除だけでなく私生活の全てにおいてなので、諸悪の根源といっても過言ではないのだけれど、掃除に関していうと、基本的に「元あった場所に戻す」という作業がめんどくさい。
モノが不必要になったら、もう頭が次の行動を考えてしまっているので「元の場所に戻す」がちょっとしたノイズとなり、億劫に感じてしまう。
例えば、机の上に物がいっぱいあっても、机を使わない時であれば、別にそのままでいい。そして、その机を使いたい時になったら片付ければいいと思っているのだ。
この3つの理由に、正直イライラを感じる人もいると思うが、これは言い訳ではなく、あくまで自身の思考を分析したデータだと思ってほしい。
さすがに現状のままでいいと思っていないので、最近では次のような考えが芽生えている。
でも、掃除できるようになりたい
なぜなら、ここ最近「生活の質の向上」に想いが高まっているからである。
正直、会社での振る舞いのように、効率的な状態を望む人格から客観的に見ると、上の3つの理由を自身に許してしまっていることはとても非効率だ。
家で作業をしている日も増えた現在、この非効率さが「今日もこれできなかったな」を生んでいるように思う。それはあまりに勿体無い。
「家がカフェみたいだったらいいのに」と、カフェに行くといつも思う。
シンプルで整った内装・明るい光・心地よい空調の中で、作業をするととても気分がいいし、発想もクリアになると自覚しているからである。それが家になれば諸経費も浮くし、合間で家事もできるから、生活の時間の使い方がが理想的になるのではないかと思っている。
自分の得意を生かしてスモールステップ
こういう想いが芽生えているのだから、一歩ずつ。物を減らすとか、元あった場所に戻すのが苦手なので、それならば得意な「ルールを作って守ってもらうより、デザインやシステムで人の行動を促して解決しよう」を元に、整理整頓の行動に移りやすい仕掛けを作るのがいいと思った。
最近ひとつ導入したものは、「机に広げてたものを適当に投げ入れられる箱」だ。イメージは「図書館で読み終わった本を入れていいカート」だ。
あのカートは司書さんが手が空いた時に、まとめて戻してくれる。
よく覚えていない、”元あった場所”に戻しにいかなくてもいいので利用者としてはすごく楽だ。また、カートの中にある本を見て「面白そう」と手に取るという経験をした人もいるのではないだろうか。
机の上も同じように、1回全部元あった場所に戻すには時間がかかるし、また後で使うかもしれないものもある。また一緒に住む人にも「もし机の上が散らかってて気になったっらそこの箱に入れて」と共有しておけば、「どこかにしまわれちゃった」ということもなくなる。
そして、性格的にどんどんその箱の中がたまってくるので「いっぱいになってきたな」と思ったら、箱の中のものを片付ける。
これはなかなかいいアイデアだなと思っている。
「掃除できない」の中にも少しは「掃除ができる」がある
大きな枠で見ると「掃除ができない」けれど、細かい要素で見てみると「決して掃除ができない」訳ではないと思える。
断捨離とか、ミニマリストとか、こんまりとか色々あるけど
自分の性格を生かして、美しい家を目指していければいいなぁ。
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![まりも](https://assets.st-note.com/poc-image/manual/preset_user_image/production/i57663790302a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)