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#360 東京タワーをつくった「死のキャッチボール」

1958年12月23日に完成した東京タワー。
正式名称は「日本電波塔」で、首都圏の電波塔としての役割を一手に担っていた。

現在はテレビの電波塔としての役割はスカイツリーに移行しているが、ラジオ放送の電波塔として利用されており、スカイツリーに何かあった場合の予備設備としての役割も担っている。

現代では数百mの塔を建てることは世界でも珍しくはないが、当時世界一の塔だった東京タワーを建てるのは並大抵のことではなかった。

鉄骨も不足していたため、東京タワーには朝鮮戦争の休戦によって払い下げられたアメリカの戦車の鉄も利用されたそうだ。

物資が不足し、現代のような重機もほとんどない中、東京タワーはほぼ手作業で組み立てられた。

もちろん重い鉄骨を持ち上げるのは重機の力を頼ったが、その溶接は人力。
さらに、地上数十~数百mの作業にもかかわらず、鳶職人たちが命綱もなく作業を行っていた。

鉄骨と鉄骨をつなげるためには、熱した鋲をハンマーで打ち込んだ。
その様子は、「死のキャッチボール」として語り継がれている。

1. リベットと呼ばれる鉄のピンを火鉢で800度になるまで熱する。リベットは赤い鉄の塊となる。

2. それを職人が長い鉄箸ではさみ、様子をうかがって上の作業場へ投げ上げる。

3. 上で待ち構えていた職人が柄のついた鉄バケツでキャッチ。

4. バケツでリベットを受け取った職人は、鉄骨の穴にリベットを差し込み、ハンマーで一気に打ち付けて接合。 打ち付ける力が強すぎると鉄骨が歪んでしまうので絶妙な力加減を要する。

鳶職の華麗なる技が東京タワーを組み上げた!「死のキャッチボール」とは?

このような高度で危険な作業は、足場が不安定な高所で28万回も繰り返されたという。

東京タワーの建設では、1名の作業員が地上63mから落下して亡くなっている。
命綱もなく幅30㎝の足場で強風が吹きつける中での工事で、1名という犠牲者は少なかったと言っても良いのかもしれない。

東京タワーの工期はおよそ1年半。
休日はなく、朝6時から夕方6時まで400人体制で作業が続けられた。

鳶職人はじめ、労働者たちの涙ぐましい努力と犠牲があって、戦後復興の象徴である東京タワーがつくられたのである。

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【参考】


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