#302 年貢は米だけだったのか?
「年貢米」という言葉があるように、年貢といえば米だ。
江戸時代、大名は百姓に米を納めさせ、それを家臣に俸給として支払った。
あるいは、その米を米問屋で貨幣に替えて、生活に必要なものを購入した。
江戸時代の経済は米を中心にまわっていた。
しかし、人々が食べるものは米だけではない。
当たり前だが、当時の百姓も野菜や、茶・菜種・藍などの商品作物も育てていた。
そのような耕地、あるいは百姓の住む屋敷にも年貢は課されていた。
そうした田以外の土地に課された年貢は、貨幣で納められた。
豊臣秀吉が行った太閤検地依頼、百姓の持つ土地は、どれだけ米が収穫できるかという「石高」でその価値があらわされた。
石高が定められたのは田以外の耕地も同様で、その土地の価値は石高であらわされた。
米以外の作物を耕作する百姓は、その土地の石高に応じて課せられた年貢を貨幣に換算した。そして、育てた作物を売って得た貨幣を年貢として納めていた。
現代の価値観からすると、「どうせお金に替えるのになぜ米で納めさせるの?面倒くさい。」となりそうだ。
しかし、現金で税を納めるのが全面的に制度化されたのは1873年の地租改正からである。
江戸時代までは、米が経済の中心だった。
「税」という漢字が、「禾(こくもつ)」をあつめる(「税」の右側の部位の意味)と書くのもそのためだ。
税がお金だったら、税という漢字は「鋭」になりそうなものである。
それほどまでに日本の経済は米中心で成り立っていたのだ。
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