言葉の重み【整形前日のぼやき】
日付が変わったので、遂に明日。
意を決して臨む顔面工事。
前日になったが、実感はあまり湧いていない。
初の静脈麻酔で、拘束時間は6時間ほど。
長い。
今までの手術とは、規模が違うため、怖さはかなりあるし、不安だし、色々考えることはあるが、その分楽しみな気持ちも強い。
お金と時間をかけることで、今の自分を変えられるならそんな最高なことはないから。
今回の整形について、普段親しくしてくれている方々には事前に伝えてはいたが、みんな揃って、
「そのままでいいのに」
と言ってくれる。ありのままでいい、今のままでも充分だと思ってもらえるのは、本当に有り難いし、嬉しいことだが、どれだけ暖かい言葉を貰っても私の強い意志は揺るがなかった。
きっかけは、幼少期に親から言われた
「可愛くない子どもだね」
という言葉。これはきっと、顔が可愛くないという意味だけではなく、振る舞い方や表情のことを指していることは子どもながらに分かってはいたが、特に親からの言葉は傷ついた。
1度だけではなく、何度も何度も。親だけではなく友人、親戚、友人の親など、色々な人から同じようなニュアンスの言葉を頂いた。
妹は、愛嬌のある可愛らしいタイプだったため、それもあって親戚中から比較されたりもした。妹ちゃんは可愛いのに、お姉ちゃんは…🤦🏻♀️みたいなことが多かったため、親戚の集まりには行かなくなったし、写真にも映らないように徹底した。(卒業アルバムにもわたしの写真は地獄のソロカットのみ)
ちょっと、目を合わせたら、「睨まないで。」
黙って真顔でいたら、「怖い。」「怒ってる?」
静かに大人しくしていたら、「疲れてる?」
楽しく遊んでいたら「ヘラヘラすんな。」
(小2の時に、わたしの顔が怖すぎて睨んでいると勘違いされ、泣いた生徒がいたくらいに、怖かったらしい。)
全部、わたしの顔が悪いんだ。
そう気づいてからは早かった。
中学生で目を変えた。
大学生になり下顔面の一部、再び目元。
今回は大掛かりな下顔面。
ここまでくるのは、そこそこ長かったが、このような決意に至ったのは、数々の言葉のおかげである。
今では、もはや感謝しているくらい。
「愛嬌のない、ブスっとした顔だね。
もっと笑えないの?可愛くない子どもだ。」
何度も何度も刻み込まれた親の言葉から、早く解放されたくて、わたしは自分の顔を変えたいのだ。
自分だけど、自分じゃない顔に生まれ変わりたい。
美人じゃなくてもいい。可愛くなくてもいい。
ただ、愛嬌のある可愛らしい女の子として、愛されたかっただけだから。