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【エッセイ】ウェス・アンダーソンのシンメトリーは「シン・シンメトリー」やんけ

※このエッセイは過去の別ブログから移行してきたものです。

 もうウェス・アンダーソン作品の話題に、シンメトリーを上げなくてもええんやないか? 今やアート系映画にかかわらず、割と見かける表現だ。

 例えば『ジョン・ウィック』シリーズや、最近だと『ナイル川殺人事件』がシンメトリーを活用した美しいヴィジュアルをみせていたっけ。

 シンメトリーの和訳「左右対称」ってのも、ちぃとダサい響きを感じる(なんちゅういちゃもん)。あとシンメトリーで思い出すのはアシンメトリーがイケてた時代のこと。

・アシンメトリーのほうがオシャレ

 いつ頃からかは知らないが、2000年代前半にはオシャレのひとつとしてアシメントリーな髪形があった。オシャレに敏感なメンズが集まれば、右を見ても左を見てもアシンメトリー。そこにはアシンメトリーのシンメトリーができていた。

 そして私ももれなくソフトモヒカンにプラスで、前髪をアシンメトリーにしていた。シンメトリーという単語をアシメントリーのついでで、覚えたのだった。マジで美容師さんに教えてもらった記憶がある。私の中ではシンメトリーはダサい立ち位置にあった。

 ──ん……ちょ、まてよ。でもシンメトリーにも憧れたことを思い出してきた……。多分小学5、6年生のころ。きっかけは自分の顔だった

・顔が左右非対称

 自分の右目が左目より細目であることに気づいた。さらに目だけじゃなくまゆ毛、口角あがりかた、耳の位置、頭部側面の丸みといった各パーツの左右非対称性にも気づき、ぅもぉぉぉお〜自分の顔がイヤになった記憶がある。シンメトリーへの憧れをいだいたのだ。

 大人になっても自意識過剰な私は、証明写真関係の場合はハタあげゲームの音頭ばりに、左目あけたまま右目もっとあける♪ 口角は左上げる♪ といった感じ(友人と遊んでいる時の写真はもっぱら変顔風で流す)。

・子供もシンメトリーを気にする

 シンメトリーはなにも思春期以降に芽生えるものではない。幼児の時点ですでにそなわっていたりする。

 4歳の息子がレゴで遊んでいると、薄い1枚板状ブロックの両端に、左右均等になるよう同じ色と形のブロックを並べて、「きれいでしょ」と言って見せに来ることがあるのだ。
 
 おい息子よ、ウェスっとるがな(ウェス・アンダーソンみたいじゃん)。割と人間が持つ原始的な美的センスなのかもしれない……。

 ちょいとシンメトリーについて調べてみたら、シンメトリーには、安定や安心、美しさや好感を持つ効果があるという。

 せやかて工藤、なぜシンメトリーに好感を持つんや。「不安定」に対する脳の補助機能だったり、左脳と右脳があるから……とか、そんなショボい仮説を思いついたけど、どや。
 
 うん、全然ちゃーてた。脳は奥深い。もこもこすぎる(意味不明)。

 どうやら脳は、左右非対称のものを見た時よりも、左右対称のものを見た時のほうが半分のエネルギーで楽(ラク)して認知できるからシンメトリーを好ましく思う、という説が有力らしい。
 
 なんじゃそりゃアァァアア! まぁいい。なんかよくわからんが、これからはワテの色んな失敗も「なんか〜脳がぁ半分のエネルギーで楽して認知したいからぁ起こったミスだとという説が有力ですウフ♡」とか言ってごまかるかも(ごまかせねーよバカ野郎 )。

・罪深きシンメトリー

 息子の話をしたからってワケではないが、若き頃、自身のポコチンのシンメトリーも気にしていた。
 私はそれを「チンメトリー」と呼ぶ。

 そして私のサオはまっすぐでなく、フクロも左右非対称にぶらさがっている(おい、どんどんくだらなくなってるけど大丈夫か)。

 思春期なりたての頃はそのフクロの左右非対称なぶらさがりっぷりに、病気なのではないかとマジで心配した。
 
 
自分の弱さ・ヘタレ加減に落ち込んだ時は、サオが左へゆるやかに曲がっているから気弱なダメ野郎になっているんじゃないかと心配になったものだ。

 シンメトリーって、罪深い。

 ウェス・アンダーソンは、チンメトリーを気にしないのだろうか(お前バカか)。モノには問題ないのかもしれないが(ホントやめろ!)、下着やパンツといったボトムス内での配置は気にしているかもしれない。

 インタビュー画像ではややゆったり目なジャケットスタイルでいたような。シンメトリーになる様、ホールド感のある下着に、ややゆったり目のボトムスを合わせているかもしれない(いいかげんにしろ!)……。

 と、いままでイジった甲斐があったと言うべきか、新たに感じたことがある。それは、ウェス作品のシンメトリーは、スクリーン枠内の物や人物の位置にこだわった美しい画作りだけじゃなく、もっと深い意味があるのではないかと。

・シンシンメトリー
 ウェス作品のシンメトリーは、美しい画作りのためだけじゃない。『フレンチ・ディスパッチ』を鑑賞すると、シンメトリーは左右に偏(かたよ)りのない均等=平等を表現しているのではないか。

 ウェス作品では、個性豊かな老若男女が性別や上下関係、役職や肩書といった世間的な優劣にとらわれない言動をとる。

 そこには、本来誰にでもあるはずの精神の自由や平等、共存をも表現しているのではないだろうか。そうして観客を解放し、心の安らぎをあたえてくれているように感じる。

 ウェス・アンダーソンのシンメトリーは「シン(心)・シンメトリー」やんけ。


#エッセイ , #ウェス・アンダーソン , #フレンチ・ディスパッチ , #シンメトリー , #映画感想文

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