「伏線」という寄り道
突然だが、伏線の美しさについて語りたい。
物語の伏線が回収される時、「はっ!あれは伏線だったのか!」と、難しい問題が解けた瞬間のような達成感や満足感も感じるし、昔の友達にまた会えた時のような懐かしい感覚にもなる。
たまに、予想とは違う結末に裏切られることもある。それはそれで「どんでん返しかぁ!」と驚きとスリルを味わえる。
音楽にも伏線は存在する。
例えば、ドミナントコードを聴けば、次はトニックが来るかな、と期待させられるし、不安定なコードが来たら、安定したコードを期待して聴いている自分がいる。
コード以外にもたくさん伏線の張り方はある。
例えば、古典派(クラシック)時代の音楽は、伏線と伏線回収の宝庫だ。
モーツァルトやベートーベンなどに最もポピュラーだった楽曲形式「ソナタ形式」は、まるで物語の構成である。
物語の舞台設定や登場人物紹介が行われる提示部、悪役が暴れ回り街が危機に陥る展開部、元の世界に戻り、めでたしめでたしとなる再現部、という大まかな構成に則って作曲される。
提示部で出てきた単純なメロディが、展開部でアレンジが加われていったりと、伏線がたくさん張られ、たくさん回収される。
ポピュラー音楽でも伏線は使われる。
例えば、私たちは言われなくても大体「サビ」がどこかわかる。それは、盛り上がりに向かって行くBメロの助走があるからである。無意識的に、盛り上がって行くその先にはピークである「サビ」が存在する、と分かっているのだ。
しかし、そのような無意識的な予測が、裏切られることもある。
伏線を裏切る瞬間
藤井風の「青春病」という曲では、いい意味で伏線を裏切る瞬間がある。
普通、Bメロが来たら「次はサビだな」と期待する。
1回目のBメロは、しっかりサビに繋がる。
しかし、2回目のBメロの先は、サビではなく「ブリッジへ向かう前の前触れ」が待っている。
「無常の水面が波立てば
ため息混じりの朝焼けが
いつかは消えゆく身であれば
こだわらせるな罰当たりが」
しかも、盛り上がるサビとは裏腹に、ベースや活動的なドラムは消え、静けさに視聴者は驚く。サビの一オクターブ下げたメロディのフラグメントを使っており、サビ感を残しながらも、同時に全く別の世界観も味わうことができる。そして、それがブリッジへと導いてくれる。
静けさから始まったブリッジは、何段階にも分かれてゆっくりとヒートアップしていく。
そして、今度こそ、その盛り上がりがラストサビへと開花する。
一回裏切りを挟んで寄り道したからこそ、最後の伏線回収がとっても気持ちいい。
大好きです、はい。
「伏線が通用しない音楽」?
〜無調音楽について〜
では逆に、伏線が通用しない音楽は存在するのだろうか。
音たちの間にも、"階級"や"上下関係"がある
そのような上下関係が存在しない音楽を探究すべきだ
20世紀前半より、そう考える音楽家が増えていった。
わかりやすく言うと、「不安定なコード」=いわゆる不協和音は、「安定なコード」=協和音に導かなければいけない、という"調性"の概念を、「調性のヒエラルキー」と捉え、そのような音同士の関係性を排除しよう、という考え方である。
そうして、調性やキー、主音(トニック)が存在しない、無調音楽 (atonal music) が20世紀の前半に生まれた。
中には、オクターブの12個の音をランダムに並べ、そのシークエンスを何回もループすることで、12音階の一つ一つを同じ回数分全て使って作曲する「12音技法」というものもある。
このような音楽には、音やコードの「予測」が通用しない。
ある意味、従来の方法で伏線を通用させることができなくなった。
「どこを聴いたらいいかわからない」
「何に向かっているのかわからないし、何も回収されない」
「難解」
と、無調音楽は敬遠されやすい。
しかし、無調音楽の中でも、伏線がひかれているものは存在する!と私は確信している。
アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の「3つのピアノ小品」作品11を紹介したいと思う。
シェーンベルクは、無調音楽を確立させた作曲家・指揮者・教育者であり、「12音技法」の生みの親でもある。
この曲は、世界初の無調音楽と言われている。
3曲どれも美しいが、私は第一曲が大好きだ。(動画の0:00~3:15)
冒頭の20秒ほどで、この曲の主題(テーマメロディ、サビ的な部分)が提示される。その主題は、曲中あらゆる部分で、別の形・リズムに変身して何回も登場する。曲を何回か聴いていると、テーマが出てくるたびに「あ!出た!!」と認識できるようになるし、10回以上聞けば、口ずさめるようになる(と思う)。
あくまで「無調」を維持しつつ、聴いている人に主題を認識させられるシェーンベルクは天才的だ。
他にももっと面白い無調音楽は存在するが、細かく説明すると少々専門的・長くなってしまうので、もしかしたらまた別の機会に【続編】として投稿するかもしれない。
というわけで、今日は「音楽における伏線」という観点から書いてみた。
伏線を通して、聴き手をクスッと笑わせられるような音楽を、
私も作っていきたい。