傘をささない君
あたりはすでに暗くて、足元も見えない。
今履いているお気に入りの靴は、どうせニューヨークの都会の小汚い雨に汚れてしまっただろう。
ビルや車、信号などの光の反射をもとに、水溜りの深さを見極めながら、避けて歩く。
ただでさえ荷物が多いのに、さらに傘もささなければいけないなんて、なんて不便なんだろう。
“What do you like about the rain? (雨のどこが好きなの?)”
帰り道。
土砂降りの中、傘にも構わず濡れゆく友人を目の前に、私は少々鋭い口調で聞いてしまった。
雨のせいで少し苛立ちまでも感じていた私は、横で子供のように雨に当たって喜んでいる友人が分からなかった。一年中雨の降らない南カリフォルニア出身の友人は雨に慣れていないため、雨天の度にその珍しさに感動しているのかな、とその程度の回答を期待している自分がいた。
すると、友人はこう答えた。
“It reminds me of youth(若々しさ・青春を思い出させてくれる).”
若者みたいな、自由さ、気ままさ、遊び心を思い出させてくれる。だから好きだ、と。
誰だって、どんなにおしゃれしても髪をセットしても、雨で濡れちゃ全部台無し。誰だって雨に濡れたらそりゃ髪はぐちゃぐちゃになるし服も濡れる。でも、その自然に逆らえない感じが楽しい。台無しになる、だから雨は美しい。そう友人は付け加えた。
私は「なるほどねぇ」とだけ言ったが、頭の中では色々な考えが駆け巡っていた。
確かに、雨ならではのみずみずしさ、儚さ、情緒がある。日本では雨にまつわる言葉がたくさんあり、晴れの時とは違って見えるさまざまな情景や情感に美しい、と思うことはある。建物の中から窓の外で雨が降るのを眺めることは好きだったりもする。雨の音を聞きながらコーヒーを飲むことも好きだ。しかし、雨に濡れることは正直好きになれない。
自由さや若々しさというのはあまり考えたことがなかった。今まで、雨は行動を制限するし、雨が降ってるだけで外に出たくないと思うことはしょっちゅうだった。おまけに偏頭痛になり何もする気力がなくなることだってある。
だから、雨が自由さや遊び心を促してくれるという意見は新鮮だった。
ーーー
雨が降ったらみんな雨の話をする。
「雨がすごいですね」
「傘ある?」
「風邪ひかないでね」
「湿気で髪の毛が膨張しちゃうから、今日はポニーテールにしたの」
「雨のため、体育祭は延期」
天候は、誰もがコントロールできるものではない。言い換えれば、雨が降ってしまえばもう雨を乗り越えるしか私たちに残された道はない。傘をさすか、雨宿りして晴れるのを待つか、濡れるか。
どうせ濡れるんだったら、存分楽しみながら濡れた方が幸せなのかもしれない。
今までよりもちょっと雨が愛おしく思えるようになった、そんな出来事だった。
(絵:sara作)