「a=b」が成り立つのは数学の世界だけ?
「人生はクソゲー」なんて言われるのはたぶんこれのせい。
「a=b」。
このシンプルな数式は学生時代誰でも目にしたことがあるだろう。
要するに「1+1=2」ということだ。
「何を当たり前なことを」と思うかもしれない。
でも、ボクはこの「当たり前」が成り立つのは数学の世界だけじゃないかと思うのだ。
数学の世界以外の数式とはどういうことか。
例えばあなたはこんな「a=b」を思い浮かべたことはないだろうか。
「お金持ち=幸せ」
冷静に考えれば分かるが、そんなことはない。
たくさんお金を持っている芸能人が精神的に病んでしまったり、資産家の相続争いで家族が分断してしまったりという話はたまに耳にするだろう。
しかし、世の中の情報商材や様々なビジネスは「月収100万で自由で幸福な生活を!」などと謳っている。
こういったメディアはさも「お金持ち=幸せ」であるという風な語り口で、思い込みをボクたちに刷り込むのである。
または、こんな数式はどうだろうか。
「努力量=成果」
これはボクがフリーランス時代に持っていた思い込みだ。
「人が遊んでいるときに自分は勉強している」
「人が寝ているときに自分は働いている」
「だから自分は成功できる」
結論は言わずともお分かりだろう。
この数式が成り立つのは残念ながらRPGの世界の中だけだ。
努力を全くせずに成功する人は限りなく少ないだろうが、努力をしたからと言って成功するとは限らないのだ。
少し視点を変えてこんなのはどうだろう。
「12月25日に出した年賀状=正月に相手に届く」
一見するとこれは正しいように思える。
しかし、正確には以下のようになるだろう。
「12月25日に出した年賀状=正月に相手に届くと日本郵便が発表している」
結局この数式を成り立たせているのは企業の努力なのである。
「年賀状の配達員が年賀状を届けずに捨てた」なんてニュースもあったように思う。
結局何が言いたいのかといえば、世の中には「人生の正解」も「当たり前」も実は無いということだ。
「良い大学を出て良い企業に就職できれば幸せ」とか
「結婚はするべき」とか
「家は買うべき」なんていうのも思い込み。
「コンビニでお金を払えば商品が買える」ことすら今の社会が崩壊したら成り立たなくなる。
だから「人生の正解」は自分で決めないといけない。
どれくらいの収入で
どんな働き方をして
家族は何人いて
休日は何をして過ごしたいのか。
これを自分で決めない限り、いくらお金持ちになってもいくら時間に自由があっても人と比べて「自分は幸せじゃない」なんて思ってしまうかもしれない。
そして、「当たり前」にはもっと感謝しても良いのではないだろうか。
昨日の日記でも書いたが、日本の状況だけを見ているとさも「日本は終わってる」みたいに書くメディアの情報を信じてしまう。
海外の現状を知ることで、日本って実はかなり恵まれているんだなと思えるし、「当たり前」が「当たり前じゃない」ことを知ることができるだろう。
ボクは豆腐メンタルなので、情報の波に飲まれそうなときはたまにこうして整理するのだ。
自分の軸は定期的に考えるようにしたい。
ここまで書いてなんだが、言いたいことは一つに絞った方がいい。
プロットを決めずに勢いで書くとだいたいこうなる。
今日はこんなところで。
では!
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