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【つれづれ日記】「思い出補正」は超えられない

「エモさ」という最高のスパイス。


ボクはゲームが好きだ。
今でも毎日のように手をつけている。
「勉強はどうした」とは言わないのがお約束。

だが、年を重ねるにつれてゲームの楽しみ方が変わってきたなと感じることがある。
お金がなかったせいもあるけど、子どもの頃は1つのゲームをバカみたいにやり続けてた。
今はいろんなゲームに気分で手をつけては、なんとなーくやらなくなったりすることが多い。
要するに浅くなったのだ。


プロフィール記事でも書いたけど、ボクのゲームのルーツはドラクエⅤだ。
ドラクエはだいたいやったし優劣をつけるのは難しいけど、「一番記憶に残っているのは」と聞かれれば間違いなくドラクエⅤなのだ。

では実際に今やりたいかと考えるとそこまででも無い。
しかし「ドラクエⅤは楽しかったか」と聞かれれば間違いなく「楽しかった」と言える。
思い出すたびにあの頃のワクワクした気持ちが蘇ってくるのだ。


話はゲームに限らない。
両親や友達と遊んだ人生ゲーム。
家の前の道路で水風船をぶつけ合ったこと。
ドイツに行った時夜中にオートロックで締め出され、暖まるために友達と必死で雪かきをしたこと。
いろんな「楽しかった思い出」がある。


では今の日々がつまらないのか。
そんなことは無いと思う。
仕事にもそれなりにハリがあるし、好き勝手に生きている自信がある。
いつに戻りたいかと聞かれれば、戻る気は無いと言えるくらいには満足している。

では昔がそんなに楽しいことばっかりだったのか。
そんなことも無いと思う。
学校で泣かされたことだってたくさんあるし、ケンカだってした。


でも、時間が経つほど不思議と楽しかった感情はその当時より強くなっているように感じる。
きっとこれが「思い出補正」というやつなのだ。

今の日々も、数十年したら今以上に「楽しかった思い出」になる。
これは建物の大きさについて、中にいるときよりも遠く離れたときの方がよくわかる感覚に近いのかもしれない。
その日々の中にいると、どれほど楽しかったのかがはっきりわからないのだ。

だから「そこそこ楽しい今」は、「すごく楽しかったあのとき」に勝てない。
でもそれで悲観的になってはいけない。
あくまで過去の思い出は「思い出補正」というゲタをはかされているのだ。


なので今は「そこそこ楽しい」で十分。
なんなら「振り返る暇もないくらい忙しい」でも良し。
きっと後々「楽しかった思い出」になるから。

そんなどうでもいいことを言うためにこんなに駄文を吐いてしまった。
まぁそんな日もあるよね、ということでひとつよろしく。


今日はこんなところで。
では!

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