【つれづれ日記】今こそ「隠れて生きよ」なのかもしれない
スニーキング人生。
「隠れて生きよ」。
この言葉を初めて聞いたのは高校の倫理の授業中だったと思う。
哲学的な話は好きな方なので、言葉だけはなんとなーく覚えていた。
座右の銘なんかを聞かれたときにたまにコレを答えたりする。
まぁボクの座右の銘は日によって違うのだが。
今日ふいにこの言葉が頭に浮かんできたので、改めて意味を調べてみた。
古代ギリシャの哲学者が提唱した言葉で、「快楽主義」の学派らしい。
ここで「快楽主義」などと聞くとそこはかとなくエッチな響きに感じられるが、意味合いはだいぶ違うのだ。
この学派にとっての「快楽」とは精神的な苦痛がないこと、心が穏やかに過ごせることである。
要するに「fireしてストレスフリー\(^o^)/」みたいな状態だ。
まぁfireまでする必要は無いと思うが、「心が乱されるような情報やストレスになるような環境からは身を置きましょう」という感じだろうか。
この考えは割とボクの好みに合っている。
メンタルダウンするようなニュースやSNSは見るだけ無駄だと思っているし、ハードワークな高給取りよりは薄給でも楽に過ごしたい。
「時間が無い」「お金が無い」「人間関係がストレス」なんて言っている人は、こういった考え方で生きた方が楽なんじゃないかと思う。
「歴史は繰り返す」とはよくいったもので、昔の哲学が今でも通用するのだ。
そして、ボクがこの言葉を使うときにはもっとそのままの意味で言ったりする。
要するに「目をつけられないように生きましょう」ということだ。
「人生はクソゲー」と言われるが、まさにその通りだと思う。
落ちこぼれはハブかれる。
優秀すぎても叩かれる。
周りと違うことをしていてもハブかれる。
じゃあどうするのが良いのか。
「目立たない」のが一番なのだ。
もちろん、周りの反対にめげずに成功をおさめる人もいる。
そういった方は本当にすごいなと思う。
しかし、逆に言えば目立っている成功者には必ずアンチがいるのだ。
そういった人種が一定数いるからこそ、成功していても幸せそうじゃなかったり病んでしまう人がいるのだろう。
この世の中は「社会的成功=幸せ」では無いのだ。
つくづくクソゲーだと思う。
クリアの仕方がわからない。
だからこそボクが目指しているのは「敵を生まない生き方」なのだ。
敵を生まないためには目立たない方が良い。
出る杭は打たれるから。
目立たないためには隠れて生きるのが効率的だ。
だからボクは「隠れて生きよ」は現代の処世術だと思っている。
今の流行りは「SNSでバズる」なのかもしれない。
なので「隠れて生きよ」は真逆のスタンスだ。
しかし、どちらが幸せになれるかは一概には言えないんじゃないか。
ボクはそう考えている。
そして、ボクには「SNSでバズる」より「隠れて生きよ」の方が性に合っていると思う。
現代の流行りに疲れた人にはオススメだ。
今日はこんなところで。
では!
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