包摂する社会を作ろう【『弱者の居場所がない社会』を読んで】
はじめに
現在東京都立大学の社会政策学の教授である、阿部彩氏の『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』(講談社、2011年)を読んだ感想を述べる。
本書は東日本大震災発生直後に書かれたもので、内容は「弱者」の経済状況と社会の格差についての現状と解決策についてである。
貧困・格差の解決へのキーワードは「社会的包摂」
経済的に生活に困っていることを意味する「貧困」。これはよく知られた概念である。本書では、第1,2章で貧困の定義や日本の貧困の現状がさまざまなデータによって語られる。
貧困について考える際、重要なキーワードとして本書に登場するのが「社会的包摂」、ないしその反対の「社会的排除」である。「社会的包摂」とは、社会の中で他者とつながることで存在価値がお互いに認められることである。それに対して、「社会的排除」とは、貧困であることをきっかけに人間関係が希薄になり、社会の中に「居場所」がなくなることである。
そして、貧困と社会的排除が「弱者」を締め出した結果、格差が拡大する。そこで唱えられるのが、格差が生じることは社会全体にとって望ましくないという「格差極悪論」である。格差による社会に対する悪影響が第4章で述べられるが、その中で私が最も関心をもったのが、格差が大きいほど社会の攻撃性が増すということである。それによって、さらなる社会的排除と貧困が生まれ、また格差が拡大する…という悪循環に寄与していると考えられる。
「社会的排除/包摂」を通して貧困について考えることで、貧困・格差が生じるのは自己責任ではなく社会構造によってであると捉えることができる。
このように考えると、社会的包摂の概念によって社会全体の問題として貧困・格差を考えるべきだとなる。これも私は説得的であると思った。
社会的排除は「社会へのショック」で露見・拡大する
貧困とセットで考えられるべきである「社会的排除」は、リーマンショックや円高不況などの経済危機、エネルギー危機、そして東日本大震災などの自然災害といった大事件による「社会へのショック」で露見・拡大する。ギリギリの生活を「強いられて」いる人、職場などに居場所がない人が、こうしたショックで一気に生活できなくなる。そしてそこには「信頼感」がないというのである。
2020年の新型コロナウイルス"COVID-19"による「コロナショック」でも同じことがいえる。実際に、多くの失業者が生じた。また、ホームレスの人々への炊き出しも中止されたようである。コロナショックでも、多くの人間が容易に社会的に排除されてしまった。
本書は約10年前に書かれたものである。しかし、現在の日本でも変わっていないと感じられる。とても悲しく、残念に思われる。そこで、この社会構造を変える政策を考えなければならない。
具体的な政策は…?
本書では、社会的包括のための社会政策として、まず労働市場を改革することがあげられた。
「活躍」とは、この文脈では「その人の存在価値を発揮」することである。その人間の能力や成果に対する承認に基づくものではなく、その人が存在すること自体への承認に基づく活躍につながる(第5章p.180参照)。
ところが、私はどうしてもやはりこれが理想論に聞こえてしまう。というのも、「労働」というのがそもそも能力や成果によってしか計られえないと感じるからである。「承認」の議論でいくと、前者の承認しか労働によって生まれない(現実問題として後者の承認を生むことが極めて困難である)のではないか。であるから、このような「活躍」が想定される就労モデルが想像できない。したがって、就労の場所ではないところでの社会的包摂を目指す政策を考えるべきである。
貧困と「社会的排除」を通じて拡大する格差を「社会的包摂」によって解決する。これについては異論はない。しかし、それが実際的にどのような政策によって作り出されるのかは本書には詳しく書いておらず、正直、私には思いつかない。
おわりに
近代以来の「合理的」な社会システムを乗り越え、弱者の居場所を作る必要があることは確かである。またそれは、来る次の「社会へのショック」の前に達成しなければならない喫緊の課題である。
そのことを豊富なデータや体験談によって鮮明に再び意識させることを目指したのが本書なのである。貧困・格差はどうやって生じるのか、なぜ社会として問題なのかが知りたい人に読んでほしい1冊であった。