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諸葛孔明の詩


中学の同級生が歌手、俳優、タレント、外国のアーティストなどに熱狂している頃、私の意中の男性は諸葛孔明だった。なんと渋い趣味だったのかと、我ながら感心する(笑)。

今日もまた、古い雑誌『季刊「銀花」第九号』(1972)を眺めていたら、「現代中国の文人=胡蘭成の書と書論」という記事に出会う。
それは「和紙の美」特集号で、そこに孔明の詩が掲載されていた。
 書かれている書は

大夢誰か先覚
平生我自から知る
草堂に春睡足り
窓外に日は遅々たり

 詩の意味はこうである。
「この大きな夢を誰が知っていよう。
 私の日常は自覚に支えられている。
 小さな家にもう充分寝足りているのだが、
 窓外の日はほんとうにのんびりしたものだ。
 (世間はまだ気づかない)」

時空を超えて
息遣いを知りたい。
孔明の生を感じたいと思いながら
胡蘭成の書を見ていた。


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