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哲学講座➀放送大学              「現代の思想的状況」渡邊二郎教授

通信指導、平成7年12月締切の提出レポート

【設問】

「現代の思想的状況」の講義を聴いて、あなたが最も印象深く思った事柄を、自由に記述しなさい。(1,000字以内)

【解答】

 ベルンハイムの問題点を指摘された際、渡邊二郎教授の書いておられる次の文章が大変印象深かった。

    歴史は「現在」どころか、むしろ「未来」からこそ認識されうると
   言わねばならないのではないであろうか。
 
 それぞれの時代において人はいかに生きるかを考え、行為し、歴史は綴られてきた。それを私たちはまさに「現在の立場に立脚する歴史」として学ぶ。それは「純粋認識」ではないかもしれないが、主観性と客観性の問題は私たち人間にとって避けがたいものであると私は思う。ただし、教科書問題などでも取り上げられるように、歴史を学ぶ者にそれがある一つの見方であることをはっきりさせる必要があるのではないだろうか。
 私は高校のときに歴史をなぜ学ぶのかを自分なりに考え、「過去のことを、これからのために学ぶのだ」と結論した。それはそれでよかったのだが、「倫理社会」の講義で物事にはさまざまな見方があると教わったように、「歴史」もそうなのだということを明確にすることができていれば、もっと楽しく学ぶことができたのではないかと思う。
 クローチェの「事実を構成する思想」は、歴史が生きていることを感じさせてくれた。私はすぐにそれを受け入れることができた。ヘーゲルの「理性の狡知」に至っては「世界精神の意志」という不気味なものも十分に感じることができた。
 ウェーバーの回では、「合理性」と「自由」との関係、「態度決定の主体性」という言葉に魅かれた。「手段と目的の転倒」の問題は、もはや現実的な大問題ともいえるし、「『情熱と諦念』をもって生き続けることが肝要である」という示唆は強烈でもあった。「各自がその部署において目的合理的に自己責任をもって行為して生きねばならない」という現代人の使命——こんな大切なことをどれだけの人が心得ているのだろうか。
 第1回目に、渡邊二郎教授が本講義の狙いを話された。「いかに生きるべきか」という人間の究極的命題について、すばらしい材料を提供していただけたことに心から感謝している。私には難しいことは考えが及ばないが、ウェーバーの「日々のつとめを果たすこと」という示唆が、渡邊二郎教授がおっしゃるように、「自己責任にあふれた誠実な人間の生き方への指針」なのだろうと思う。

【渡邊二郎教授からの返信】

ありがとう、よく聴いて下さって! さらにいっそうのご研鑽を祈ります!


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