意外と20歳は楽しい
18歳の私は、19歳になったら死ぬんだと本気で信じ込んでいて、自分が20歳になるなんてこと現実味が無かった。
毎日毎日絶望感しかなくて、この先は何も楽しくない、18歳で死んでしまえばよかった、と本気で嘆いていた。
でも、私は意気地無しで適当な人間なので、惰性で20歳を普通に迎えてしまっている。しかし驚く事に、何も悲しくなかったし、絶望もなかった。諦め、というのとも違って、わくわくしたとても良い気持ちだった。
20歳になって、自分が書いた「成人おめでとう!」(記憶曖昧)的なnoteを読み返してみた。当時の気持ちも思い出せるし、今でも少しだけ10代で消えていた世界線に憧れたりもする。まだ手遅れじゃないかなと思ったりもする。でも、良くも悪くも私は大人になってしまったから、諦めのように「まぁ別に何も変わらないなぁ〜」と思えるようになってしまった。あとお酒がおいしい。
あんまりはっきりは覚えていないけれど、10代の私はこんな鈍感で雑な大人になりたくなかったかもしれない。正直全然大人の実感は無いし、学生でいるせいもあるけど、まだ全然高校生の延長を生きている気がする。別に年齢を受け入れられているだけで、繊細さも面倒臭いところもメンヘラなところもダメな所も何も変わってはいないので、鈍感な大人では無いんじゃないかなぁと思ってはいる。
人生を自分で選んで歩いてる実感もやっと湧いてきた。
今までは親の思う良いことが全て良くて、悪いことは全て悪だったけれど、その価値観さえも自分で選ぶ事ができるようになった。平均以上に開いているピアスも、お母さんは痛そうで見ていられないと言うけど、今の私にとってはすごく可愛くて素敵なもので、ピアスのおかげで自分のことを前よりずっと自信を持って好きでいられる。
会いたい人に自分の意志(とお金)で会いに行くことだってできるし、お母さんの意見はもう私にとっての絶対じゃなくなった。それがとても心地良い。息がしやすくて、軽くて、自分だけを支えているからとても楽に生きている。
お母さんがいる事を考えると、自分の考え+お母さんがどう思うかを考えなきゃいけなくて大変だったけれど、今は自分の意見のみを尊重できる。お母さんの意見もたまに聞くけれど、取捨選択は自分で出来るようになった。
今やっと、成人おめでとうって言葉を素直に受け取れるような気がする。次の目標は5年後まで生きること。