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「あわい」について | 魅力的なことば

「あわい」ということばは、物と物の交わったところや重なったところ、あるいは機会やすきま、間柄、配色などの意味を持ちます。このことばは、柔らかく揺らいでいるような、そんな響きを持ったことばだと思います。しかし、このことばから感じる曖昧性は、社会生活においては軽視されてしまうものです。合理性が重要視される現代において、非合理的なもの、つまり理性に対しての感性および直感のようなものは排除すべきノイズであるように思います。なぜなら、集団を動かすうえでは邪魔になるものだからです。合理性の価値基準から善悪を切り分け、良いと考え得る方に寄りかかっていきます。また、信仰や思考にも、絶対性を求め、一律の価値基準から判断を下していきます。切り分けをしたがるのは、仕方ないことであり必要なことです。様々なところに相反するものがあり、真理というものが存在しないためによりどころをなくし、宙ぶらりんでいるのは苦しい状態です。だから絶対的なよりどころを見つけたがるのです。それでも一元的な真理は存在しないのがこの世界なので、曖昧性を曖昧なまま受け止めることが大切なことです。広大な宇宙のことをじっと考えているとなぜか自分の中の粒子に視点が立ち戻って、ぐるぐると果てのない考えに捕らわれているときがあります。自分の存在の曖昧性を明確にすることができず、自分の在り方もはっきりと見据えられることができないことは悩ましいことですが、不確定でも粒子性と波動性のあわいで自らを受け入れられたら世界の見え方が少し違うような気がします。様々なものと交わるあわいの中に本質的な価値を見出せると感じます。世界を見る目、感じる力を養いたいです。


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