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時間芸術 | 読書の問題点
時間芸術とは、文芸、音楽、演劇、映画など、ある一定の時間をかけて鑑賞する物語性を持つ芸術である。現在では、時間芸術が一般に広く普及されていて、インターネットを利用すればいつでも鑑賞することができるようになっている。時間芸術を鑑賞する場合、鑑賞者が物語を形成していくために、一瞬ごとを知覚し、「今」を常時記憶する必要がある。ゆえに記憶は芸術を受け取る側にとっても大切だ。ヒトの記憶はコンピュータにおける記録のように単純ではない。ヒトの記憶とは、単に脳の一定の部位に蓄えられているものではなく、脳全体および身体で構築され保存されるものである。そしてこの保存された記憶と関連付けられるのが感情である。この認識が薄く、記憶における過程、およびその結果発現する感情が軽視されるように感じることがある。最近では、時間芸術の鑑賞がタイパ重視の考えから形を変えているとよく言われている。時間芸術を味わうためには、記憶の過程における見地からも一定の時間を要することは理解できる。時間効率を重視するあまりなるべく早く鑑賞しようとすれば、何も生み出すことはできない。これは、鑑賞者としての鑑賞の仕方における問題といえる。
また、芸術を鑑賞すること自体の問題点もある。例えば、本を読むことは重要で有益な行為であると言われる。しかしそうではない可能性もある。文章を書く場合を見てみると、書くという行為を行うためには、思考を重ね、抽象的な何かを文字として形に起こす必要がある。一方で読むという行為の場合、すでに誰かが熟慮し、形を与えたものをなぞることしか行わない。そういったものを盲目的に受け取るだけの行為では、自身が知覚したものを構築し直し表出しようとする場合とは異なる機序となる。だからショーペンハウアーは、書物を読むだけの行為を批判した。
鑑賞の仕方だけでなく、鑑賞そのものに関する問題点に目を向け続けておく必要がある。本質的な知性を意識することに注力していたい。
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