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映画『小学校 〜それは小さな社会〜』から考える
昨日は巷で話題の映画『小学校 〜それは小さな社会〜』を観てきました。その感想と考えたことをまとめたいと思います。
「小さな社会」という副題の妙
この映画の各場面について、賛同したり、批判したり、色々な声があると聞きます。一緒に観ていた友人も、前半は苦しくてたまらなかったと言っていました。私自身も、いくつかの場面において気になることもありました。
しかし一方で、「小さな社会」と言われてしまえば、何も言えない自分がいました。上手くいかなかったり、叱られたり、報われなかったり、納得できなかったり、傷ついたり。社会の営みに参加するということはそういうことも含まれると思うと、全ての先生に常に100%の最適な対応を求めることの(そもそも実現可能かどうか置いておいて)違和感もおぼえました。
小学校を通じて私たちは「日本人」になる
この映画のサイトには、以下のように書かれています。
6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、
12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている
最近、外国籍の方が日本に移住したり、旅行したりして文化の比較をする動画をよく見ていたので、その背景としてこの小学校6年間があるということには非常に納得感がありました。
日本人の気質と言われる多くの部分は、産まれながらに持っているわけでも、生活の中で勝手に身に着くわけでもなく、学校に埋め込まれた様々な機会や工夫、先生方の働きかけや日々のコミュニケーションの中で形成されているのだとこの映画は教えてくれます。
教育を変えるために必要なのは、先生一人ひとりを変えることではない
どんな先生であっても、葛藤を抱え、試行錯誤をしながら日々子どもたちに向き合っています。
もっと先生たちの考え方が変わればいいのに、やり方をアップデートすればいいのに、そんなことを思わないと言えば嘘になりますが、前述のような先生方の姿もまた真なのです。
最後は自分の取り組みに引き寄せてしまいますが、やはり先生方を取り巻くシステムを見ていくこと、システムの形を見直していくことが私がやりたいことだなと思ったのでした。