Monica Prasad "Popular Origins of Neoliberalism"の結論部の引用

アメリカにおいてなぜ1981年のレーガン減税が成立したのか、カーター政権期から振り返りながら再考する論文の準備を進める過程で、ノースウェスタン大学の社会学者であるMonica Prasadの論文"Popular Origins of Neoliberelism in the Reagan Tax Cut"を再読した。彼女の結論は、レーガン政権の減税は、財界の陰謀ではなく世論が求めた結果であった、というものであったが、最後に歴史の論文らしい教訓めいた記述があったので、ここに翻訳しておこうと思う。

(拙訳)
ここまで見てきた世論の役割は、我々に吉報と同時に凶報をもたらす。レーガン減税を議論の俎上にあげたのが世論であったということは、我々は、財界による陰謀(そしてそれは現代の市場主義的な世界に繋がった)を恐れる必要がないということを示唆している。他方で、この減税のストーリーを注意深く読むことで、誰も事態をコントロールできていなかったのではないか、という疑念も浮かび上がってくる。ある意味で、財界が世の中をコントロールしているという見方は心地よいものである。なぜなら、それは人間が自分たちが何をやっているのかきちんとわかっているということを意味するからだ。けれども、問題は、財界の権力について最近書かれた本がいう通り、財界が諸悪の根源をもたらす怪物となっていて、いち早く取り除かなければならないものになっているということである。その怪物を始末すれば、皆は幸せに暮らすことができる。そんな筋書きが描かれるが、現実はそれ以上に恐ろしいものである。ここまで見てきたことから、政策決定に関わってきた重要なプレイヤーたちは、自分が一体何をやっているのかよくわかっていなかった。そして、そうであるがゆえに、大胆な変化をもたらす経済危機への解決策を模索していた。アーサー・ラッファーは自身で次のように的確に要約している。「私が間違っている可能性はかなり高いだろう。でも、新しいことを試してみてはどうだろうか?」

さらに悪いことには、他の誰もそれ以外に何をすべきか知らなかった。聡明な人々が集まる会議があっても、輝かしいテクノロジーがあっても、そして社会的な協調行動があっても、資本主義経済システムがどのように我々の生活を支配し、それがなぜ失敗しあるいは再生するのか、そしてそれをどのようにコントロールするのか、またそもそもコントロール可能なのかといった事柄について我々は全くといっていいほど理解できていないのである。それが陰謀であったらいいのにと人は願うほどである。

(原文)
The role of public opinion leaves us with a story that is reassuring in some ways and disturbing in others. That it was public opinion that played the key role in bringing the tax cuts onto the agenda suggests that we do not need to fear secret plots by business having led to the current era of market dominance. On the other hand, a careful reading of the tax-cut episode leads to the suspicion that no one is in control. In a way, the business-power narra- tive is comforting. It implies that human beings do know what we are doing, but the problem is that there is a monster in our way, “the thing that feeds the other ills, and the thing that we must kill first,” as a recent book on business power puts it. Kill the monster of business power and everyone lives happily ever after. The truth is more frightening than that. It is clear from the story above that the key actors did not know what they were doing and were groping for solutions to an economic crisis that seemed to demand bold change. As Arthur Laffer himself put it, in a phrase that accurately sums up the whole episode: “There’s more than a reasonable probability that I’m wrong, but . . . why not try something new?”

Moreover, no one else knew what to do either. Despite our councils of wise men and women, our razzle-dazzle technology, our impressive social coordination, we have very little understanding of the capitalist economic system that rules all of our lives, of what causes it to fail or to revive, or of how to control it, if it can be controlled. One almost wishes it were a conspiracy.

コメント:
陰謀論がありふれ、何かラディカルな解決策が必要だ!と声高に叫ぶ人がメディアを席巻する中、以上に述べた教訓は心の中に常に留めておきたい。現実は退屈であり、それを良い方向へと変えるのも退屈である。けれども、その退屈に耐え忍ぶことが必要な場合は少なくないのである。

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