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中山道26 垂井宿→醒井宿

▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。

京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。



2021.08.20


1.帽子富士

今日は新幹線で向かいます。
富士山側の席に座りご対面を楽しみに、
現れた姿が傘富士かと思いきや、
これは帽子富士ではないか…
すっぽりと帽子を被っているみたい。
天気予報の目安になるのかな?


スタート地点の垂井駅のコインロッカー
関ヶ原が近いのですね!
ロッカーの人気ランキング知りたい。


中山道を舞台にした小説"一路"の、
主人公が参勤に出る架空の町が、
垂井~柏原あたりではないかと推測し、
妄想しながら歩きます。


駅前の観光案内所も、
幟旗を上げて気合十分です!


さて街道に入ります。
今にも泣き出しそうな空。


お休み処に文化財に高札場、
宿場町の風景です。


西の見附で宿場町はおしまい。


2.雨の街道

歌川広重の絵は雨の垂井宿、
今日もパラパラ降り始めました。


お地蔵さん大切にされてます。
屋根があるので雨でも大丈夫、
生けてある花は本物です


松島稲荷神社。
無知で笑われるかも知れませんが、
お稲荷さんは農耕の神だったんですね。
確かに"稲"が入ってますもんね。

お盆が過ぎ道中のあちこちの稲の首が
下がってきてます。

実るほど頭を垂れる稲穂かな


ウバ車!
生活圏で文字でで見るのは初めて!


東海道線踏切、
保線職員さんが何やらチェックしてます。
大雨の影響の確認かも知れません、
保線の皆さんが鉄路を支えてます。
お疲れ様です、ありがとうございます。


垂井一里塚。
中山道で国の史跡になった一里塚は、
他にもいい一里塚たくさんあったのに、
ここと板橋だけです、なんでだろ?


中山道に落ちる栗、
奥には茶色くなった栗も、
食べごろかな?


ニャンコは雨宿り。


3.謎の壁飾り

またもやこの飾りが出始めます。


ひとつだったり、ふたつだったり、
文字や記号が、あったりなかったり、
なんでしょう。
私の推測は、梁の先端に被せる飾り。
思い出せたら道中調べてみます。


4.テッポウユリ

急にあちこちの家の前で、
テッポウユリが咲き乱れてます。


テッポウユリが多いかなんて
どうでもよくなり、
雨に濡れた姿が美しくて、
見る度に見惚れてました。



そろそろ関ヶ原の町中に入ります。


旅人から愛された七つ井戸。


5.火の用心

ホースの格納のって、
赤じゃなくてもいいんですね!
しかも関ヶ原風にアレンジしてる。


きっと関ヶ原に縁がある
全ての大名分ありそうですね。



6.関ヶ原宿

この茶色の看板が関ヶ原の戦を、
わかりやすく解説します。


松並木を過ぎると、いよいよ関ヶ原宿。


六部地蔵?六部の意味が、
全国の社寺を巡礼し、
旅をしながら修行している人。
と書いてあります。

旅の原点は巡礼であった事を、
改めて実感。


家康も縁起を大切にしていたんですね。


7.町中幟旗

商店の前に幟旗が出てます。


町中に幟旗、
合戦が起きないか心配になります…


8.このまち、まるごと、古戦場。

いいコピーですね〜!


電柱にはクイズや観光案内、
自販機までラッピング、
まさに、このまち、まるごと、古戦場!



9.間の宿"山中"

間の宿が現れました!
間の宿大好きです!


ジブリみたいな家ですね。
水の意味は、
水害防止か水を大切にする心構えですね。


鶯の滝、癒されます。
近くには立場などが軒を連ねたそうです。


10.新幹線の上に在来線

この写真判りづらいですが、
左右に走るのが東海道新幹線、
中央上部にある架線が東海道本線、
新幹線の上を走るモノレール以外の鉄道
他にあったら教えてください。


通り過ぎたら新幹線が通過したので、
振り向いてあわててパシャリ。
早過ぎて上手く撮れません…



祠がないお地蔵さん久しぶりです。


踏切渡って、
東海道線と絡みながら進むと、
ゴージャスなトンネル入口を発見!
その名は今須トンネル。

調べたら出てきました↓



今須峠を下ると、
今須宿の町並みが見えてきます。


一里塚すぎて、


11.今須宿

この絵は立派です!


売物件がでてます。
ご興味のある方は直接どうぞ!



川を渡って静かな宿場町を西へ。


この石が見つからなかった。


山門の先にトンネルふたつ、
不思議なアングルです。


問屋場、七軒もあった時期があり、
全国的に珍しかったそう、
流石近江商人のお膝元、
物流が盛んだったのですね。


問屋場の瓦がオシャレ。^_^


町並みが自然で美しい。


稲もたわわに実り始めました、
秋はもうそこまで来てます。



12.近江國

滋賀県に入りました。
美濃路でお世話になった
馬の絵がある緑の看板ともお別れです。


國境は驚くほど小さな川でした、
もう美濃路とはお別れです。
奈良井宿・木曽の桟・小町の滝・妻籠宿
もっとたくさんの想い出があったのに、
そんな思い出に浸る暇を与えないほど、
あっけない小さな大河でした。


町並みは道幅が当時のままな感じ。


寝物語の里、なんていうので、
ロマンチックな内容を想像しましたが、
いろんな説がありました。
興味のある方は石碑を読んでください。


13.ベンガラのある風景

ベンガラとは木材を紅色に塗る顔料、
急にこの地域から増えていき、
滋賀県内はずっと続きます。



中山道歩いていて確信した事、
建物の意匠の変化が最もわかりやすい、
地域の文化のだと思います。


14.柏原宿

こちらが柏原宿の説明。


照手姫笠掛地蔵、
説明何回か読んだのですが、
頭に入らず上手く説明出来ません…


この模様はまだ続きます。


お腹が空いたのでカフェに、
いつもの燃料を頼みましたが、
店員さんが残念そうに、
この地域は厳しい方のマンボウで、
終日アルコール提供不可なんです、
ということでスイーツ頼んじゃいました。

フワフワしたものをたっぷり頂いて、
西を目指します。


百貨店、いい響きですね。


町の中心に入ってきました。
このまま終わってしまうのかと、
思っていたら大物がいました!


こちらは屋号をわかりやすく
示している木札です。


こちらは本陣跡。


川を渡ってまだ続く町並みに入ると、


追い越した忙しそうな一台の軽自動車が
立派な建物の前で停まります。


ひやかしの観光客はごめんなさい、
と言いたげな雰囲気を出してます。
お薬屋さんの様です。


立派な歴史館がありました。
柏原宿が想像以上に町が長く、
雰囲気が良かったので入ることに。

映像を見たりして、
その他保存状態の良い品々が、
綺麗に丁寧に展示してあり、
その中に先程のお店にいた大物が
柏原宿の人気キャラである事が判明!


15.福助さん

その正体は福助さんでした!


展示館2階で福助さん特設展を
やってました。


こちらが説明文、
先程のお店に昔々福助という、
どんなお客様にも平等に丁寧に、
対応する店員がいたそうで、
その福助を人形にして置いたそうです。

家族に画像送ったら長男が、
この人誰?と質問してきたので、
招き猫のような人だよ、
と答えておきました。


柏原銀行もあったのですね。


荷蔵跡とは、運びきれなかった荷物を、
預かった場所、
当時は社寺のスペースを使ったそうです。これって倉庫業ですね。

前職で新規事業開発をやってましたが、
トレンドやテクノロジーありきではなく、
ニーズを嗅ぎ分け、
あるもを工夫して活用し、
三方良しの発想で進める。
そこに徹しないとダメだったなぁと、
今更ながら歩きながら感じてました。


柏原宿良かったです、また会いましょう。


16.雨の中山道

一里塚。


松並木の近くに、掃除丁場という、
言葉の説明がありました。
参勤交代の前に沿道を綺麗にする
当番の事でした。
今も歩いていると芝刈り機で草を、
必ず誰かが刈ってますので、
掃除丁場の名残り・DNAでしょうか…


水路と田園風景が綺麗。


雨の中歩くのも好きです。
景色の輪郭がはっきりするのと、
空気が凛とします。


17.おべべを着たお地蔵さん

雨に濡れない様に、祠が作られてます。
こんな日は祠が大活躍。


景色に見惚れてどんどん進みます。


川や田んぼでよく見た鷲、
目の前に現れてその大きに、
改めて驚かされます。



18.醒井宿

醒井宿に到着しました。


枡形がお出迎え。


商店街は結構お店がやっていて、
観光客がたくさん来る様です。
この坊やはなんなんだ?


賀茂神社、境内から眺める町が、
雨に濡れて趣に満ちてました。



湧水が流れる町、人は集まりますね。


観光地の証、古民家のかき氷屋さん!


なんと本陣後地は料亭樋口山、
予約制でしたので夜は断念。
美味しそうです!


19.本日の宿

古民家を改造した宿、
目の前の川を窓からぼーっと、
眺めながら過ごせます。


お料理はカウンターで、
釣り好きの料理人さんが作る、
本人曰く、飲む為のメニュー。

写真上から
琵琶の鮎と極細きんぴら
醒井のマスの刺身
鮎のマリネサラダ
鮎の天ぷら
マスとキノコの炊き込みご飯
豆乳プリン

最高の味です!
マンボウでお茶を飲みながら、
食べるという拷問のような食事でした。


20.関ヶ原のお話

料理人さんの祖父母が、
合戦場の近くに住んでいて、
子どもの頃聞いた話。

先祖が西軍が東軍を支援したか、
合戦後も代々瓦の色でわかるように、
していたらしいです。
今もそうしている家があるとか、
西軍が赤系、東軍が青系です。
次に歩く時の楽しみが増えました!

夜散歩して、
朝食に握ってもらったおむすびを、
ひとつ食べながらチビチビと、
過ごしました。

今回はここまで。

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