西国街道20 小郡宿→厚狭宿
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目に選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.0915
1.小郡宿
西国街道の旅、本日で20日目ですが、初めて宿の朝食を食べました。
暖かい味噌汁はいいですね。
駅の自由通路に内部が見えるスケルトン消火栓。
中の機能が見えると不思議と安心します。
西国街道の神戸市内には、スケルトンの排水口がありました。
煉瓦で基礎が出来ており、芸術的なビジュアルでしたので紹介します。
生協創業の地は小郡だったのですね。
次女が高校1年生の時の人生初のアルバイト先は、自宅近くにある本人が赤ちゃんの頃から通っていたco-op。幼い頃から知っているパートの皆さんがとても暖かく、ヤンチャは娘の人生相談の相手もして貰ってました。
下の画像は慣れてきた高校3年生頃の次女の様子、今は引退しています。
下の画像、今度は長女が15年近く継続して描き続けている、co-op母の日の似顔絵。店に貼ってある他の絵の中で、大人げなく他を圧倒しています…
co-op話に熱くなり過ぎました。
さて、街道に戻ります。
SLやまぐち号の客車です。
おそらく観光用のSLの先駆け、1979年から運行しており、観光用とはいえ44年の歴史があり客車にも風格が出ていますね。
ファミリーレストランのJoyful。
大分発祥で九州を中心に全国630店舗を展開してます。お膝元の九州が近づいてきました。
真砂土と書いて"まさど"と読みます。
上の画像の薄茶色の土で、ガーデニングや庭の敷土として人気があります。
長男が砂に関わる研究をしており、学会発表の練習をしている時に教えてもらってました。
この付近が真砂土の産地。河原の砂が真砂土だったり、山肌が茶色かったり、雨が降ると山から歩道に砂が流れてきたり、家の庭に敷いてあったり、歩いているとあちこちで目にします。
カタツムリがゆっくりと街道を横断しています。
いつになったら辿り着くのか、車に轢かれないか、ぼんやり眺めていると、街道を歩いている自分と重なっている事に気がつきました。
2. 間の宿 嘉川
時速4kmで歩いていると、建物のちょっとしたデザインの変化に気が付きます。
白い線が入った瓦屋根が目に入ってきました。
こんな時はまずは撮影します。その後に再び現れたら撮影を継続、現れなかったらボツ案となります。今回はどうでしょうか?
たくさんありました。
僅か4分間でこれだけあったので、白い線が入った瓦屋根は、この付近の流行りといえるでしょう。
見事な赤レンガの塀の屋敷。
驚いたのは上の画像の曲がり角の角度、90度の直角なら解りますが、100度超の扇状の角度で曲がっています。
どの様にレンガを削って角度を併せて仕上げたのか、職人の技術が凝縮された塀でした。
免地エリア商店街図。
私、3,000km近く街道を歩いてきましたが、上の画像の免地エリア商店街図のクオリティが一番わかりやすかったです。往時の建物が殆ど残っていないながらも、情報の量と質が高く、とにかくわかりやすく、何も残っていなくても、歩きたくなる地図の模範です。
嘉川地域交流センターは、全国の見所が少ない宿場町の観光セクションの担当者が、視察に行く価値があると言い切れます。
鳥居の上に石が積まれてます。
何か願いを込めて積む、というか投げるのでしょうね。神様が通る道の上に石を置く、怖くて小心者の私はできません…
昇り坂の始まり、峠の手前の風景、坂道は風情がありますね。
峠を越えるぞ!と気合いのスイッチが入ります。
3.おいはぎ峠
なんと、常夜灯にも石が積まれてます。
私もやろうかと周りを見ましたが石がありません。みなさんは何処かから石を持ってきたのでしょうね。
積んである石が、何年何月に積まれたか、誰が何を願って積んだか、などがスマートホンをかざすと判る。そんな事出来たら面白そうだな、などと妄想・・・・。
凄い名前の食事処、おいはぎ峠。
メニューのネーミングが秀逸です。
どんなメニューがあるか調べてみると、
百姓定食880円
おいはぎ定食1,200円
大名行列1,600円
などなど、身分によって金額に差をつけてありました。
開店前なので通過します。
おいはぎ峠の隣は、アダルト系の物販店とラブホテル。なんとも言えない組み合わせですね。
4.山中宿
おいはぎ峠を過ぎ、景色をみて感じた事。
平地で交通量が多い”一桁国道”沿いにも関わらず、不気味なくらい周りに店も家屋が無く、"おいはぎ峠"と名付ける理由がわかった様な気がしました。
熊野神社でも鳥居の上に石が積まれてます。この地域の流行りですね。
熊野神社の瓦が赤い影響なのか、神社周辺の家々の屋根も、殆どが赤い屋根でした。
山中宿。
どこを切り取っても、心に沁みる街道の風景が残る宿場町。
坂があると風情が倍増します。
何度も何度もふり返りながら歩きました。
5.二俣瀬
九州が近いからか、シンプルな醤油ラーメンが少なくなってきました。今日頂いた面はちゃんぽんです。
この建物は、酒造場から旧二俣瀬村役場に一度寄贈されて庁舎として活躍した後に、再び永山本家酒造場の事務所として蘇っています。
この様な建物の歴史もあるのですね。
アオサギの求愛ポーズ。
3分間くらいこの姿で、睨めっこの様な感じで静止していました。
結ばれる事を祈ります。
庚申塔の注連縄が解けています。
山口県に入ると、注連縄が巻いてある庚申塔をよく見かけます。祭事の時に巻いているのでしょうね。
6.宇部丸山ダム
道端にダムの排水溝があります。
有り余る水圧を活用した噴水、もっと高く上げる事が出来れば、黒部ダムの放水とまでは行きませんが、観光名所になるかもしれません。
おくうべレストラン跡。
給油所なども併設したサービスエリア的存在で、営業期間は1970~2013年。高速道路の開通などの影響で廃業したと思われます。
街道沿いの休憩場所のビジネスモデルの変化を辿ると、茶屋→ドライブイン→サービスエリアと業態を変えてきています。
この先は乗物が空を飛ぶ様になると、どうなるのでしょうね。
この先、玉木坂という峠道があり、地元では殿様道と呼ばれていました。
殿様道に行ってみましょう。
西国街道の旧道峠道は、ことごとく歩けません。
旧街道歩きが新しい旅のスタイルとして確立し、旧街道歩き人口が増えないと、この様な峠道は衰退していきます。
峠道が復活する様に、私は頑張って街道を歩き、時速4㎞の世界と、街道歩きの魅力の発信を続けます。
この付近が東京から1,000㎞。
昨年11月に大阪高麗橋から東京日本橋まで東海道五十七次を歩いているので、あと少しで東海道+西国街道で1,000km歩いたことになります。
山陽新幹線の高架橋は、トンネルとトンネンルの間を繋ぐ、長い架け橋の様です。高架橋はかなり高い場所を通過しており、将来水位が大幅に上昇しても生き残れそうです。
外国人のサイクリストが走って来ます。
先程もすれ違ったので、この先のしまなみ海道を走るのかもしれません。
西国街道の尾道宿の古民家宿に宿泊した際に、経営者の方がしまなみ海道を走るために来られる外国人観光客が多い、と話をしていました。フランス・台湾の方が特に多いそうです。
街道を歩いていて、一番恐ろしいのは歩道が無い事。
歩道が無い理由は土地が無いからで、土地が無い場所ベスト3は、峠・トンネル・渓谷。これらの場所は、地形的に歩道が建設出来ないのです。
一番危険なのは曲線部の歩き方。早めにドライバーの視界に自分の姿が入る様に、右側左側どちらを歩くか地形をみながら工夫します。
特に危険な場所は、昇り坂で右カーブ、雑草が生い茂り視界が悪い場合は待ちます。国道でも前後の信号の関係で、必ず車の切れ目が出るタイミングが数分に一度は必ず来ますので、焦らず待つ様にしています。
7.船木宿
歩道が無い危険な道を進んでいくと、通行量がなく不思議な場所にオレンジのラインが入っている道と交差します。
山口県出身で西国街道を歩いた経験がある知人から、宇部興産が保有する日本一の私道、”宇部伊佐専用道路”があると、教えて頂いた事を思い出しました。
地図を確認すると、やはりその道でしたが、本来は現在地から300mくらい手前から旧道に入るらしく、再び歩道が無い危ない区間を戻ることに。
小走りで旧道に戻り、静かな旧道を進むと、カタツムリがゆったりと横断しています。やはり街道は癒されますね。
宇部伊佐専用道路。
1972年開通、全長31.94㎞の日本一長い私道。山口県宇部市から美祢市を結ぶ、セメント材料などの運搬用道路。
旧国鉄の貨物輸送では輸送量に限界があり、ベルトコンベヤー輸送では輸送貨物に制限を受ける、などの理由で私道建設が採用されています。
ちょうど、道路横に山道があったので、蚊に刺されながら、”ダブルストレーラー”と呼ばれる、2両連結44トン積みの超大型トレーラーを待ちます。
水色の専用車が通解します。
ダブルストレーラーかと期待しましたが、緑ナンバーの普通のトレーラーでした。5分くらい粘りましたが、蚊の集中攻撃に耐えられなくなり退散。
船木宿。
この付近が宿場の中心地だったと思われます。
2階に大窓がある家がたくさんありました。
地域により建物の個性が変化する様子を楽しめるのも、街道歩きの楽しみ方です。
解体された常夜灯。
耐震構造に問題があったのでしょうか?解体された各部位の大きさに圧倒されました。
8.林尼の石畳
国道2号500㎞ポスト。
通過点ではあるものの、キリの良い数字は嬉しいものですね。
企業などが100周年など周年を勝手に祝っている気持ちが、こんな時にようやく理解できる様になりました。
国道2号から右に入る道の手前に、白い看板があり、下記の様に記されています。
千林尼の石畳路(一部分)
山陽街道(残存百米)
100mの短い区間に石畳路が一部分残っている、これは気になります。
早速石畳が現れました。
あっという間の100mでしたが、印象深い100mでした。
標高57mに拍子抜けしました。
コンクリートで固められた法面にあるシールドの中に、石仏が鎮座していまいた。
工事関係者の配慮にほっこりします。
彼方に厚狭宿の街並みが見えてきました。
終点 下関赤間関に到着する前の、最後の夜を過ごす宿場となります。
9.厚狭宿
今日はよくカタツムリに会います。
身体に気を付けて、お互いにゆっくり旅をしましょう!
夕やけを見ながら歩くのが、久しぶりな気がします。
明日は晴れるかな?
祐念寺。
街道を歩いていると、多くの寺院の前を通ります。
観光客が多く訪れる寺院は入りますが、それ以外は檀家さんの場所という認識があり、遠慮して入らない様にしています。
しかし今回は違いました。祐念寺山門の奥から、誰かがこちらを見ています。そして、こちらに来なさい、と無言で語っています。
吸い寄せられる様に、という言葉がありますが、人生初の吸い寄せられた経験をし、山門を潜りました。
門を潜ると、親鸞聖人である事が判明。
浄土真宗の宗祖、私に何を語りかけようとしていたのか、聞き取れませんでしたが、おそらく、ご苦労さん、と伝えてくださったのでしょう。
先ほど、二俣瀬にあった”永山本家酒造場”とは元を辿ると一緒の酒蔵。
兄弟で現代も商いを続けている、凄い事だと思います。
今夜は山猿を飲むぞ!
上の画像の説明看板。
厚狭川の渡し橋を、人々が歩いている画像が紹介されています。かなり狭いので、馬などは川の中を歩いたのでしょうね。
鉄道で街道が寸断。
よくあるケースなのですが、疲れてきて集中力が切れると、街道の風景で判断してしまい、地図をしっかり読まない為にこうなります。
途中まで戻り大回りをして街道に戻ります。
厚狭駅に新幹線のホームがあり驚きました、新幹線停車するのですね。
小郡駅が新山口駅に変わっていた事以上に驚きました。
宿泊先が駅の反対側。
入場券を購入する必要があり、電子マネーが対応出来ない為、久しぶりに紙の切符を購入。
しかも入場券の購入となると、小学生の頃以来かもしれません。
入場券を見て小学生の頃を思い出しました。
当時の東北本線古河駅を通学時に通り抜ける際に、硬い切符の入場券を10円で購入しており、そのうち改札口の切符に鋏を入れる駅員さんと仲良くなり、高架化工事や自動販売機導入などの影響で、不要となる手動の切符格納ケースなどのお宝を頂いたりと、昭和の懐かしい自由な風景が蘇ってきました。
三年寝太郎。
三年三か月寝続けた寝太郎が、佐渡の金山に行き、戻っってきた草履を洗うと金が出てきて、その金で厚狭川の灌漑設備を整えたという神話。厚狭の英雄の様です。
入浴・洗濯を終え、明日西国街道最後の日に備えて、夜のパトロールに繰り出します!
美味しい酒と美味しい魚に酔いしれました。
明日は最終日、ゆっくり寝ます。