陸前浜街道6 夜ノ森→高野宿
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.03.11
1.スタート地点まで
上野発のひたち1号に乗るので、ゆっくり与野駅6時過ぎの電車で向かいます。
ひたち号を待つホームに駅そばが。
ホーム駅そばも、これから希少価値になると思われます。
いい香りを嗅ぎながらポスターを見ると、駅ごとに店舗限定メニューがあるのですね、素晴らしい!
2.夜ノ森
自宅を出てから4時間40分かかりました。
富岡市の、夜の森地区・大菅地区の一部は、2023年4月1日午前9時に避難指示が解除されました。
”ただいま”の横断幕が心に刺さります。
3.熊川宿
帰宅困難区域がまだ残っており、旧道は歩けません。
熊がキャラクターになっています。
クマ出没情報ブログを見ると、2022年9月に町内で体長高さ30㎝のツキノワグマ1頭の目撃情報があったそうです。
ふくしま浜街道・桜プロジェクト。
福島県内の国道6号、いわき市から新地町までの総延長163㎞の区間内や、沿線県市町村道に、全国から桜の木オーナーを募集し、桜の苗木2万本を植樹するプロジェクト。
木の傍らに、様々な立場の人々が様々な想いで考えた、30年後の故郷に贈るメッセージが貼られていました。
道路横の斜面の下にあり読みずらいので、一枚一枚、立ち止まり目を凝らして読み続けました。
しばらく商店が無い地域を歩きますので、おにぎりの昼食。
3.中間貯蔵施設
今歩いている付近は、福島第一原子力発電所から10km圏内、立ち入り禁止区域がまだ多く残っています。
中間貯蔵工事情報センターとは、中間貯蔵施設の、施設概要や安全への取組みなどを紹介する情報発信の拠点。
中間貯蔵施設とは、福島第一原子力発電所の事故により、周辺地域に放出された放射線量が規定値を超えた地域の土壌等を、最終処分するまでの間、安全かつ集中的に貯蔵するための施設。
中間貯蔵施設に搬入された土壌や廃棄物等は、搬入開始から30年後となる2045年3月までに福島県外で最終処分を完了する事が、国の責務として法律に定められています。
福島県外で最終処分をする2045年時点の、土壌等に含まれる放射線量を示す放射性セシウムの放射能濃度の推定値が現時点でわからない状態で、終わりの見えない作業が今日も続いています。
上の画像の送電線、福島第一原子力発電所方面から伸びてきています。
電気は通っていないのでしょうね。
4.福島第一原子力発電所
モミの木パーキング。
往時は松並木が植えられていた等、街道にまつわるエピソードが書かれています。モヤモヤしながら歩いていたので、少し癒されました。
痛々しい、"地球にやさしいエネルギー原子力発電"と記された看板。
フレコンバックを積んだ車。
土砂などを入れる大きな袋、
汚染土等は黒いフレコンバッグに入れられて、震災後13年経った今でも次々と中間貯蔵施設に運ばれていきます。
上の画像の道が旧街道なのですが、フレコンバッグを積んだ自動車が、連続で入って行ったので、目を凝らして見るとその先に中間貯蔵施設があるらしく、規制のゲートが見えたので断念。
国道6号を歩きます。
この押しボタン、歩行者が通行禁止の時は永く使われていなかったのでしょうね。
と思って力強く押したら、子の信号機は点滅式信号機なので反応しませんでした…
5.新山宿
今歩いている付近を、東日本大震災前にレポートしたブログを発見しました。
読み込むと上の画像の富沢酒造店が営業していたり、商店街が賑やかな頃の風景を見る事が出来、改めて言葉を失います↓
街が13年間止まっています。
言葉になりません。
新山神社の社殿は新築でした。
6.長塚宿
新山宿と長塚宿は合宿で、上の画像の中央の小さな橋を跨いで隣り合わせ。
宿場の業務は、月のうち前半は長塚宿、後半は新山宿が勤めていました。
グランドの照明塔が見えたので、トイレを探しに街道から逸れて立ち寄ったら、そこには3日前にたまたま10年振りに観た、テレビ東京のワールドビジネスサテライトで、この絵を描くプロジェクトの特集をみました。
プロジェクト名はFUTABA Art District。
人気のアート集団、OVER ALLsが壁画アートの力を証明したくてやっているプロジェクト。8つの作品が双葉町に描かれています。
本日は3/11、半旗が掲げられています。
3/11の双葉駅前、道を歩く人の姿は3人しか目にしませんでした。
7.黙祷14:46
双葉町消防団第二分団屯所。
震災当時、停電で動かない電動シャッターを団員たちが力ずくで開けたて出動した後の状態のまま。
風が強く、シャッターがカタカタとなびいてました。
地震発生14:46の2分後で時計停まっていました。
丁度時計を見上げていた頃に、双葉町の防災無線から14:46の黙祷のアナウンスが流れ、防災の物々しいサイレンが鳴り響きました。
黙祷。
目を閉じていると、工事現場から響く重機のガタガタと響く重低音が聞こえてきて、現実を突きつけられます。
街道から海に2kmほど進んだ場所にある、東日本大震災伝承館に向かいます。この施設は昨年末に2回訪れましたが、いずれも休館日でしたので、本日は念願の訪問となります。
浅野撚糸(あさのねんし)。
岐阜県のタオルなどを製造するメーカー、震災後に復興支援を兼ねて進出。私は昨年末に訪問した際に、バスタオルを購入し独り暮らしを始めたばかりの娘に送りましたが、肌触りが良いらしく大好評でした。
8.原子力災害伝承館
上の画像をご覧いただくと、F1(福島第一原子力発電所)とF2(福島第二原子力発電所)は、それぞれ双葉町・大熊町、富岡町・楢葉町の両方にまたがる町境に建てられています。
除染特別地域地図。
F1とF2周辺の市町村が、合併していない事が良くわかります。
伝承館だけは多くの人で賑わっていました。
立ち止まってコンサートを聴く気分になれず、来た道を戻り再び街道に戻ります。
思わぬ場所に自動車以外の通行規制の看板が・・・・。
引き返して並行して走る国道6号を歩く事になります。
心に刺さったメッセージは偶然にも全て、美辞麗句が一切ないストレートな子どもの文章でした。
左から 二本松市 いわき市 二本松市の名酒。
歩いた距離は短かったですが、長い一日でした。
今日は部屋で静かに乾杯し早く寝ます。