長崎街道7 塚崎宿→嬉野宿
2023年9月、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
憧れの長崎街道、鎖国の頃に異国文化を運び、シュガーロードもと呼ばれた、文化交易の大動脈。北九州から長崎を目指します。
2324.01.06
1.スタート地点まで
前日に搭乗予定のフライトが欠航になり、一本遅い便に変更しました。
4日前の羽田空港滑走路事故の影響、関係者のご冥福を心よりお祈りします。
雨の福岡空港に到着。
様々な航空会社のフラッグが並んでいて壮観です。
博多駅から特急に乗り武雄温泉駅に向かいます。
武雄温泉駅に到着。
自宅を出てから6時間かかりました。
やはり九州は遠いです。
2.塚崎宿
2024年の歩き始めは長崎街道。
年の初めに、異国文化の香りが漂う街道を歩ける幸せを噛み締めながら、一歩一歩前進します。
関塚宿は、佐賀宿以来久々の宿場らしい風景が残っている宿場町。
温泉がどこにあるのか、温泉街らしい雰囲気は、まだ感じられません。
長崎街道物語公園。
街道愛に満ちた公園で、全二十七宿がイラスト入りで紹介されています。
武雄市内には、茶系の陶器と白系の磁器、両方の窯元が90以上あり、武雄焼と呼ばれています。
この公園の説明看板には、磁器がふんだんに使われており、なんとも贅沢な雰囲気でした。
3.楼門
武雄温泉 元湯。
札の辻を曲がると突然別世界に、楼門に向かって華やかな温泉街が現れます。
その楼門をくぐった先が元湯。
入る時間がありませんでしたが、次回のお楽しみが、また増えました。
新館の建物の、デザイン・使用している木材・保存状態が見事でした。
建物の色は朱色で、今でも鮮やかに感じますので、完成した当時はかなり目立ったと思われます。
実業家の宮原忠直が、武雄温泉を竜宮城にしてみせると、東京駅を設計した辰野金吾に設計を依頼して完成した、武雄を代表する観光名所になっている楼門と新館。
大浴場天井の雰囲気が、よく見ると東京駅の天井に似てます。
東京駅の八角形の天井に十二支の干支が8つあり、残りの4つが武雄温泉楼門にあるという記事が、貼られていました。
東京駅は甲州道中歩きの時に、ちょうど通り抜けましたので、その時の画像を見ると、確かに干支が8つあります↓
建築家の遊び心を、歩いた街道がつないでいる、じわじわと感動が込み上げてきました。
瓶ビール。
街道歩きのお昼に、いただくことにしてます。私は生ビールより瓶ビール派。
瓶ビールを頼んで、サッポロの赤星やキリンラガービールが出てくるだけで嬉しいのですが、クラシックラガーだと尚嬉しいです。
楼門の前の通り、道に迫り出した自己主張の激しい看板が見事です。
香港みたいな、自由な感じの街並みの風景が好きです。
佐賀県内で目にする正月の注連飾り。
蜜柑と日の丸と旭日旗が飾られているのが印象的でした。
謎の壺。
佐賀県に入る手前辺りから、この壺を時々見かけます。ほとんどが家の敷地の片隅に置き去りにされており、哀愁すら感じさせる壺。
防災用の水を、溜めるためのものなのでしょうか?それとも焼酎の甕?
4.渕の尾峠
貯水湖の近くですれ違ったご年配の旦那さんが、
「長崎街道歩いているのかい、御苦労さん、この付近は道が二手に分かれていて、もう一つの有明海側の宿場の雰囲気もよかですから、両方とも歩くとよかですよ」
とドライブするかのような感覚で、簡単に言われてしまいました。行かないと・・・・。
福岡・佐賀県境の、冷水峠以来の峠道を歩きます。
歩いている人が少ない街道なので、峠道が荒れていないか、などなどドキドキしながら山道を歩きましたが、冬なので雑草が生い茂っていないので難なく通過。
5.東川登
店の入口に、どこでもドアが置いてあります。
飲食しない人の撮影お断りの注意書き。
ちょっとしたフォトスポットみたいですね。
見事な門松を、お手入れしている方、挨拶してお話をしていると、造園業の方ではなく氏子さんでした。
毎年順番に門松当番が回ってきて、近所の方々で竹や松を調達して、見様見真似で作っていると、淡々と語ってました。
凄いですね。
貴舩社。
氏子さんの愛を感じることが出来た、いい時間でした。
たけのこカフェ。
次から次へとお客さんが入って行く、人気の古民家でジェラートを提供する店でした。
6.嬉野宿
嬉野温泉の看板が見えてきました。
街道沿いの温泉は、ありそうでなかなかありません。
東隣の塚崎宿が武雄温泉なので、二宿連続で温泉宿場町は国内でもここだけかもしれません。
街道で温泉といえば、中山道唯一の温泉宿場である、下諏訪宿が印象に残っています。
町のあちこちで温泉が湧いてます↓
温泉ではありませんが、下諏訪宿本陣岩波家の第二十八代当首 岩波太左衛門尚宏さんと面識があり、中山道の途中・甲州道中の終わり・家族旅行と、三度も本陣を訪問してます。
茶畑が街道沿いにあります。
嬉野は”うれしの茶”の産地、新茶のシーズンには、新茶を楽しむサミットならぬ”茶ミット”、日本茶インストラクターの別名で”茶ムリエ”など、JA佐賀は”茶目っ気”たっぷりですね。
嬉野キリスト教会。
キリストの文化が感じられます。
大きな協会がごく自然に街の中にある風景は、世界遺産”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”の地位には入りませんが、この地域特有の文化遺産だと思います。
和多屋別荘。
20,000坪の敷地に建つ、嬉野温泉を代表する宿。
長崎街道はその目の前を通ります。
湯っつら広場の説明看板に、嬉野の地名の由来が記されていました。
その昔、神功皇后が戦の帰りに、川に湧いていた温泉に疲れた白鶴が入ると元気になって飛び立った様子を見ました。ならばと、傷ついた兵士を川に入れたところ、傷が癒えたて元気になった様子を見て、「うれしいの」と言われたのが地名の由来です。
迫り出し看板。
本日歩き始めた武雄温泉でも、道路にはみ出した看板がありましたが、嬉野温泉はもっとあります。温泉街らしい雰囲気があって良いですね。
山頭火の碑。
西国街道、山口県防府市の宮市宿が山頭火生誕の地。記念館や山頭火の小径があったりと、地元では英雄です。
山口県の陸の玄関口である新山口駅前には、山頭火の銅像が建っていました。
お恥ずかしいのですが、山頭火はラーメン屋さんで名前を認知したレベルなので、食に関する偉人かと思っていましたら、俳人だったのですね。
山頭火の故郷を歩いた記録は↓
予約した宿はことぶき屋。
建物の1階が、伝統芸能保存会の芸妓さんの活動拠点”いこい座”。小劇場にもなっており、廊下に芸妓さんの写真が飾られていました。
カウンターに座った瞬間に、隣に座っていた6歳年上の超常連さんのお父さんが、ビール飲みますか?と一本冷蔵庫から出してきて、そこからは人生悲喜交々の談義。
そのうち、カウンターの隣にいた長崎と東京の遠距離恋愛中の25歳のカップルをつまみに、
早く結婚した方がいいぞ、
子どもは手がかかるが可愛いぞ、
仕事・結婚・育児は長いスパンで役割を考えた方がいいぞ、
などなど、偉そうに語りながらダラダラと飲んでました。
私の勘ではきっと結婚します!
そう祈ってます!
お幸せに!
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