木下街道 銚子街道1 行徳宿→木下宿
木下と書いて"きおろし"と読む宿場が、かつて千葉県印西市の利根川南岸にありました。
江戸時代に水運が主流だった頃、利根川で運んできた木を下ろした場所が木下、そこから江戸川の河口付近の行徳まで陸路で木材などの物資を運んだ道が木下街道。
2025年の歩き初めは木下街道、千葉県の東京湾岸から内陸の利根川まで、40km弱風景の移ろいを、楽しみながら歩きます。
2025.01.14
1.スタート地点まで
空には満月が煌々と輝いてます。
ちょうど火星と地球が2年に一度最接近する日の前後で、その距離は約9600万km。火星の輝きが増して月に接近するそうで、おそらく上の画像の満月の左斜め上の輝く星が火星だと思われます。
普段は週末に歩くのですが、本日は三連休明けの火曜日。
車内には朝まで飲んで帰る人がほとんどおらず、通勤客ばかりで雰囲気が違います。
神田駅で東京メトロ銀座線に乗り換え。
銀座線の駅の特徴である天井の低い通路が、妙に落ち着きます。
街道の聖地日本橋で東京メトロ東西線に乗り換え、本日の出発地点である行徳宿最寄りの葛西駅に向かいます。
葛西駅の高架下には地下鉄博物館がありました。
週末は親子連れで賑わうと思われます。
2.行徳宿
スタート地点は、旧江戸川と新川が垂直に交差する地点。
新川とは徳川家康が江戸への物資輸送ルートとして作った川。この地は木下街道で陸路運ばれてきた物資が、船に積みかえられ水路で江戸の街中に運ばれていた物流拠点。タイムマシンが欲しくなります。
スタート地点から妙見島が望めます。
東京23区内で唯一の自然の島との説がある島。
東京メトロ東西線から何度か見たことがあり、その不思議な島の佇まいにいつも目を奪われておりましたが、今日街道のお陰で最接近できました。
下の画像が妙見島の航空写真、右上の「公」の文字付近がスタート地点になります。
満月の入りの直線に、ジワジワとスカイツリーに近づいてきます。
その時、どこから現れたのか、超望遠カメラを構えた撮影愛好家が走って、撮影スポットを探しています。
ちゃっかりと私もその近くに付いて行き、ご相伴に預かりました。その方のシャッター音にあわせて私も撮影した1枚が下の画像です。
撮影愛好家のおかげで、スカイツリーに重なる、団子の様な満月が撮れました!
今井の渡し跡。
かつてこの地に渡しの跡がありました。
今は普通の橋が架けられていますが、この有り難さを理解して橋を渡っている人は、殆どいないでしょうね。
日枝神社の御神木の周りの柵におみくじが縛られており、その真ん中に穴が空いていて、腕を伸ばすと御神木に触れられる様になっています。
なかなか粋なはからいですね。
香取神社。
利根川の河口から八里ほど上流にある、香取神宮から勧請され末社、木下街道に縁があるので、この先でも香取神社には巡り会えそうです。
香取神宮は、佐原から銚子まで銚子街道を歩いた際に近くを通りました。
街道筋から6km離れているので立ち寄るのを諦めて、利根川の堤防を歩いていたところ、香取神宮の一の鳥居、通称浜鳥居に出会えました。
ちょうど街道の道が単調で飽きてきたので、脇道に逸れて堤防の上をいたら、突然ヌーッと現れた鳥居に度肝を抜かれました。
往時の浜鳥居は水中に建っていたそうで、舟運が盛んな頃は舟が鳥居をくぐってから参拝したそうです。
銚子街道・香取神宮浜鳥居前を歩いた時の記録はこちら↓
湊水神宮。
かつては、豊漁や海難避けの守り神として祀られており、今も祭りが続いているそうです。
3.行徳新河岸
新河岸。
スタート地点の行徳河岸の後に作られた様です。
雰囲気的に新河岸付近の方が賑わっていたと思われます。
下から見上げる常夜灯は、とても頼もしく見えます。往時は街頭もなく、人々は常夜灯を見るとホッとしたのでしょう。
現代の街道歩きでも常夜灯は各地でお目にかかれますが、暗い時間に灯が灯っている現役の常夜灯には、なかなか出会えません。
東海道の脇往還、浜名湖の北側を通る姫街道では、ふたつの現役常夜灯に出会う事が出来ました。
ひとつ目は豊橋市の郊外。
姫街道を豊川稲荷から浜名湖に向かって歩いていると、風格がある常夜灯に出会いました。よく見ると電球が残っており現役風。
覗き込んでいると近所のお母さんがやってきて、常夜灯の話を始めます。
お母さん曰く、一年位前までは輪番で蝋燭の火をつけていたが、階段昇るのが危ないので、電灯に変えたそうです。
江戸時代から令和まで、毎晩蝋燭の火が灯され続けたという事実に衝撃を受けました。
ふたつ目の常夜灯は、2日間歩いた姫街道の最後に、見付宿で東海道と合流する直前、車がすれ違うのがやっと位の、往時の道幅から変わっていない様な道筋で、周りを明るく灯す常夜灯に出会います。
上の画像右上の坂から下ってきたので、死角になっていたと思われますが、その圧倒的な存在感に心奪われました。
ふり返って眺める常夜灯、いい風景でした。
暗くなってからの街道歩きの中での、忘れられない思い出のひとつです。
姫街道、ふたつの常夜灯に出会っ記録はこちら↓
旧浅子神輿店。
私は神輿担ぎが好きなので、神輿という言葉だけで心躍ります。
行徳の神輿作りは地域の産業だったそうです。この地に木材が集まっていた事と、江戸が近かったからかもしれませんね。
神明神社。
由来に伊勢神宮の砂を遷し、内宮外宮両皇大神宮を勧請したと記してありました、凄いですね。
東京都心方面の空が黒い霧の様な大気に覆われています。
空気が汚いのでしょうか?
富士山方面の空はこんない綺麗。
撮影角度を90度変えただけで、空の色がここまで変わるとは驚きでした。
4.八幡宿
八幡宿に入り東西に走る成田街道に垂直合流、これより約1.5km西に同じ区間を進みます。この区間は以前2回ほど歩いてますので、その時に立ち寄れなかった場所を2ヶ所巡ります。
1ヶ所目の立ち寄り先は葛飾八幡宮。
葛飾八幡宮は下総の国総鎮守八幡宮。
下総の国における葛飾文化八幡信仰の中心となる由緒ある神社です。
2ヶ所目の立ち寄り先は市川市役所。
京成電鉄の車内から見た事があり、恰好良かったので中に入ってみます。
市川市役所は片面ピラミッドの様な形をした建物で、中はどん構造なのか入ってみます。
リゾートホテルみたいな吹抜けを期待していましたが、そんな事したら納税者に怒られますね。
成田街道側から見ると普通の建物です。
成田街道と同じ道を歩くのはここまで、左に直角に曲がります。
同じ区間の成田街道を歩いた時の記録はこちら↓
東山魁夷記念館。
市川市は東山魁夷が生涯のうち、約半世紀を過ごした所縁の地です。
アーデル通り。
調べたところネーミングライツの道路でした。道沿いにある株式会社アーデル・フィットネス・リゾートがスポンサー。
ネーミングライツが道路にまで及んでいたとは驚きです。
5.法典
中山競馬場。
1919年に松戸競馬場が当時の中山村に移転し、中山競馬場が誕生しました。
年末の競馬の風物詩”有馬記念”の由来は、日本中央競馬会理事長の有馬頼寧が暮れの中山競馬場で、東京競馬場の日本ダービーに匹敵するレースを創設したいとの思いから始まっています。
中央競馬会の競馬場は、札幌・函館・福島・新潟・中山・東京・中京・京都・阪神・小倉、全国10ヶ所にあります。
いままで街道を歩いた際に、中山競馬場以外に、3つの中央競馬会の競馬場近くを通りました。
1つ目目は東京競馬場。
甲州道中府中市内の街道沿いから、要塞の様な巨大スタンドが見えました。
甲州道中、東京競馬場の近くを歩いたときの記録はこちら↓
2つ目は京都競馬場。
京街道の京都市伏見区を歩いてる時に通り、ちょうどスタンドの大工事中でスケールの大きさに圧倒されました。
京街道、京都競馬場の前を歩いたときの記録はこちら↓
3つ目は、中京競馬場。
東海道の愛知県豊明市を歩いてる時に通りました。
すぐ近くには桶狭間古戦場跡地があります。
東海道、中京競馬場の前を歩いたときの記録はこちら↓
藤原の郷記念館 鈴木政右衛門邸。
居酒屋の2階に不思議な記念館の看板が出ています。
調べたところ、藤原はこの付近の昔の地名、鈴木政右衛門は、行徳からこの地を開拓した人の名前でした。
船橋法典駅。
この付近がかつて法典村で、現在もその地名が残っているため、このような駅名になっています。
船橋市の木サザンカが頑張って咲いてます。
サザンカと椿の見分け方は、花びらが一枚一枚ヒラヒラと散るのがサザンカ、花ごとボトリと落ちるのが椿です。
6.鎌ヶ谷宿
郊外に出て、ようやくゆったりとした家々が目につくようになってきました。田舎育ちの私にはホッとする風景です。
旧旅籠丸屋。
鎌ヶ谷宿に、7件あった宿の1つがまだ建物として残っています。
鎌ヶ谷大仏。
全く気づかずに通り過ぎてしまい、戻ってから拝むことができました。
高さ1.8メートル、駅の目の前の墓地の片隅にひっそりと鎮座しています。
道標には、右木下道 左中木戸道、と記されています。
鎌ヶ谷市の花は桔梗。
コミュニティバスの名前になっていたり、大きな桔梗園があったりします。
海上自衛隊のパイロット養成所がある下総航空基地がすぐ近くにあります。
街道の脇道の住宅地の道がとにかく長いのです。ここまで長くてまっすぐな住宅地の道は見たことありません。
千葉県は和梨の生産量日本一。
県内生産量は、白井市・市川市・鎌ヶ谷市・船橋市の順に続き、木下街道沿道は日本一の梨街道です。
7.白井宿
競馬学校。
日本中央競馬会・JRAの、騎手・厩務員候補生の育成機関。
国が認める学校ではなく、JRAの教育訓練施設でした。
成田空港アクセス線。
日本の線路の両脇に、広大な敷地があります。高速道路でも通すのでしょうか。日本離れした風景です。
千葉・埼玉・神奈川県をぐるりと回る国道16号、東京から見てこの道の外側に出ると、風景が一段と自然豊かになります。
白井そろばん博物館。
道中で時々案内看板を見かけたので、見学を楽しみにしておりましたが、残念ながら定休日でした。HPを拝見すると、イベントなどが盛りだくさん。
そろばんはじき初め・そろばん絵画・そろばん川柳・オリジナルマイそろばん・海外出張講座などなど、館長ブログも頻繁にアップされています。
今度は営業日に来ます。
神々廻(ししば)坂。
上の画像の坂から上の一帯が白井市神々廻地区。
神々しい名前なので、この辺りで神様が舞っていたのかと思い調べましたが諸説ありわからず、どうも当て字の様です。
この地域では病魔除けのために、赤く塗る風習があるそうです。
上の画像の民家の屋根瓦、屋根の頭頂部の梁のような部分を大棟、大棟の両端から斜めに下る屋根の頂点部分を隅棟と呼びます。
その2つの棟の下に白い線が描かれている民家を、白井周辺で多く目にする事が出来ました。この地域の流行だと思われます。
ちょっとした建物の意匠の発見も、街道歩きの醍醐味です。
8.千葉ニュータウン
印西市に入ると景色が急変します。
千葉ニュータウンに入りました。
街道は残念ながら寸断されてしまいますので諦めてニュータウンの街並みを楽しみます。
印西市のキャラクター、サイが印を持っています。かなりシュールですね。
千葉ニュータウンは物流センター・データセンター城下町。
平地で岩盤が強く水害に強い為、物流センターや、金融機関やIT企業のデータセンターが拠点を置いています。
牧の木戸。
宿場町などの入口と出口に設けられた門がある場所を、〇〇木戸と呼ぶことが多いのですが、この付近は宿場では無いのでなぜだろうと思っていたら、すぐ後に謎が解明されます。
和泉新田大木戸野間堀遺跡。
この付近は江戸時代に、印西牧と呼ばれる幕府直営の牧場がありました。
その馬が牧場から出ない様にするために、柵の代わりに”野馬堀”と呼ばれる馬用の堤防を築いていたのです。
木下街道と”野馬堀”が交差する場所に、馬が行き来出来ない様に、木戸が設けられていたのです。
上の画像が野馬堀跡。
かつて物流を担っていた”馬遺構”の向こうに、現代の物流センターが聳える風景のコントラスト、”物流の地層”の様です。
途中から黄緑色のGoodmanのロゴの物流センターが、周辺の景色を独占してきます。
オーストラリアの物流不動産を開発や管理する会社の日本法人。とにかくその規模感に圧倒されます。
あとから調べたら、最後の5km位の歩く道が違っていた様です。
”街道リベンジ”の楽しみがひとつ増えました。
9.木下宿
木下の街並みの向こうに筑波山が姿を見せました。
高校卒業まで茨城県で暮らし、筑波山を見て育ってきた影響なのか、いまでも筑波山を見るとホッとします。
利根川の木下河岸跡まで行きたかったのですが、もう暗いので次回のお楽しみに。
今日は満月。
明け方に行徳で”月の入”を見て、夕方に木下で”月の出”を見る。
2025年の歩き初めは、縁起が良い一日でした。
次回は、銚子街道に入り利根川右岸沿いを東に進み、佐原宿を目指します。