伊勢参宮道1 日永の追分→津宿
多くの街道を歩いてきた中で、日本一の参詣道を歩いていない事に気付き一年が過ぎ、ようやくその時がやって参りました。
日本人の庶民の旅の原点、お伊勢参りを楽しんで参ります!
2024.06.30
1.スタート地点まで
旅行前・旅行中の様々なサービス機能、各種予約・ガイドブック・マップ・観光インフォメーションセンターなどのソフト部門が、スマートフォンに仕事を奪われている中、コインロッカーはどうでしょう。
荷物は、四次元ポケットみたいにスマートフォンの中に入らないので、訪日外国人観光客の増加に伴い、コインロッカーは増え続けています。
画像をよく見るとわかるのですが、かつてあった様な小型のロッカーは1/3程度で、残りは大型化しています。
コーヒー自販機。
昨年10月末で東海道新幹線の車内販売が無くなりました。早朝の新幹線利用の場合は駅のカフェが空いておらず、熱々のコーヒーが飲めなくなるのかと心配してましたが大丈夫です!
この自販機、60秒かかりますが挽きたてのコーヒーを出してくれます。
天気が悪いので、いつも座る富士山側と反対の太平洋側に座ると、景色が少し新鮮に感じます。
天竜川増水してますね。
木曽三川を一気に通過。
木曽川だけが濁流、昨夜までの豪雨の影響で、上流の岐阜県の山々からの土が混ざっているのだと思われます。
本日乗ってきた鉄道の線路の幅を調べてみました。
JR東日本京浜東北線 1,067mm
JR東海東海道新幹線 1,435mm
近鉄名古屋線 1,435mm
四日市あすなろう鉄道内部線 762mm
こんなに違うんですね!
ツーマンで安全運行をしてます。
安心ですね。
2.日永の追分
日永の追分にやって参りました。
この地を訪れたのは過去に二度
1991年東海道往路
2023年東海道復路
本日が三度目になり、いよいよこの地から念願のお伊勢参りが始まります。
命を護ってくださる湧水を、ペットボトルに汲みます。
3.河原田
街道は川を渡ると景色が変わります。
内部川を渡り、四日市市内の賑やかさから、徐々に移ろう街道の風景を楽しみながら伊勢湾岸を南下します。
里程標。
明治以降に道路元標と共に、村の中心に置かれた道標。折れた部分を繋ぎ合わせた跡があり、大切に保存されている事が窺えます。
上の画像の説明看板、とても丁寧でわかりやすいです。
孝女森田いと刀自像。
河原田小学校の正門内側に、二宮金次郎と向かい合ってます。
孝女(こうじょ)とは孝行な女性、刀自(とじ)とは主婦の意味。
孝女、聞き慣れない言葉ですが、西国街道を歩いている際に山口県内で二度目にした記憶があります。
そのうちのひとつが、西国街道の山口県防府市で目にした、周防三考女 石川阿石の碑。
山口県は、女性を讃え碑として後世に遺す文化がある地域なのだと感じました。
西国街道 山口県防府市を歩いた時の記録はこちら↓
夏伊勢街道をテーマに、多くの作品がフェンスに貼られてました。街道愛を勝手に感じて嬉しくなります。
鈴鹿川を渡り本日最初の宿場、神戸(かんべ)宿に入ります。
4.神戸宿
畷道(なわてみち)。
田んぼの真ん中の畦道や、まっすぐな道を意味します。
宿場町の緩やかな曲線が美しい道筋とは対局の、田んぼの中の直線道ですが、季節ごとに彩りを変える風景に目が癒されます。
空には鷺などの野鳥が舞い、目の高さにはトンボなどの昆虫が行きかい、田んぼの中にはカエルなどの水辺の生き物が泳ぐ、畷は街道の中のオアシス的な場所なのです。
神戸の見附。
見附とは、宿場町の入口にある門。
神戸の見附は門の石垣が残っており、その石垣には、往時に木戸を支えた溝が残っていました。
街の中心の水辺に親水広場があります。
すぐ隣が小学校、すくすく育つにはとても良い環境ですね。
本日は同行者がいます。
名古屋に単身赴任中で、テーマパークに勤務する前職の同期のN氏が、面白そうなので一緒に歩いてみたいとの事で、日永の追分から雨の中二人で歩いてます。
今から3年前、中山道を歩いた際の帰り道に名古屋に寄ってN氏と飲んだ時は、こうして一緒に歩くとは思ってもいなかったので、不思議なものですね。
普通の人ならば殆どが退屈と感じる街道歩きです。
事前にN氏には次の様な説明をしました。
本日は30km以上歩くので足腰の負担がきついけど構わないか?
晴れたら真夏日となり熱中症と隣り合わせだけど構わないか?
雨が降ると涼しいが足元が悲惨な状態になるけど構わないか?
ふたつ返事で「大丈夫!」
きっと辛いの大好きなのだろうと思ったら、やはりそんな感じで、歩き始めてから終始弱音はゼロで、街歩きは発見がたくさんあり楽しいの連呼、街道歩き向きの人種の様で安心しました。
神館飯野高市本多神社。
不思議な造りの神社。
上の画像の鳥居奥、参道すぐ右手前から社殿・拝殿が並んでいます。一度鳥居から参道に入り、右に180度方向転換すると拝殿があるという珍しい構造。雨にも関わらず多くの参拝者で賑わっていました。
神館飯野高市本多神社の説明看板には、合祀された4つの神社の由緒が書かれています。
通行人を目にする確率がかなり低く、上の画像前方に映る若者は希少な存在です。
民家の石柱に、カエルやカタツムリの浮き彫りがありました。
この地域の風習かとその後探しましたが見当たらず、家主の趣味の様です。
伊勢参宮道の凄い所のひとつが、道標がいまだに現役で活躍しているところです。
上記画像の道標もそのひとつ、これが無ければ狭い道を直進していたところでした。
山神。
先ほども山神を目にしました。平地で海の近くに何故山神があるのか、それは春になると山神が平地に降りてきて、田の神に変わるからと言われております。
諸説ありますが、街道を歩いていても所々で水田を目にしましたので、あっていると思われます。
5.白子宿
江島若宮八幡神社の江戸祭。
領主小笠原氏が徳川吉宗に仕えた事から始められたといわる祭。白子が
湊町であった事から、海上安全を祈願するお祭りとして現代まで伝承されています。
昼食場所を探しに、少し街道から外れます。
6.サーキットのまち
駅から西に6㎞地点に鈴鹿サーキットがあります。
先ほど神戸宿で休憩中に、サーキットを走るレーシングカーのエンジン音が聞こえてました。
大きなレースの時は賑わうのでしょうね。
東京まで行くバスが出ています。
昼食はラーメンを頂く事にしていますがなかなか見つからず。
諦めてふらっと入った良さげな店が、月に一度だけ昼にゲリラ的にラーメンを出す店。
こだわりの貝汁が素晴らしく、二人で感動して食べてました。
往還道研究所。
凄い看板を見つけてしまいました!
ご挨拶をしようか迷いましたが、前に進まなくなるかもしれないと、後ろ髪を引かれながら前に進みます。
白子宿の案内看板。
これで最後になりますが、文字が自動車のナンバープレートの様に、立体的になっています。街道で様々な説明看板を見てきましたが、こんなに手が込んだ看板は始めて見ました。
かつてこの地には白子湊があり、伊勢商人の物流拠点で繁盛しただけあって、往時の文化を後世に残す説明看板に拘るDNAが、現代にも引き継がれているのかもしれません。
ちょうど今週が茅の輪くぐりの時期、あちこちの神社に茅の輪が飾られています。
7.幕板がある家
幕板。
上の画像の旧家、一階の庇の下に木製の暖簾風の飾り板が横長に付いており、日除けや雨除けの役割を担っています。
この後も道中あちこちで目にしました。
中山道で、板ではありませんが、同じ様な形をした暖簾をよく目にしましたので紹介します。
中山道のハイライト、木曽路の奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿を歩いた時の記録はこちら↓
8.上野宿
燭台が無い常夜灯。
昔はどこかに燭台が付いていたのでしょうか?
弘法大師所縁の井戸。
この地を訪れた弘法大師が村人に水を所望した所、村には鉄分の多い水しか汲めないため、村人が遠方から水を運び提供しました。
そのお礼に持っていた錫杖で 良質な水が湧くこの場所を示したという伝説の井戸。
大切に保存されています。
道路改修記念碑の設置の由来が面白いです。
桝形が見事な役割を担いすぎて、人馬の衝突が絶えなかったため、道路を改修したと書かれています、そりゃそうですよね。
9.伊勢上野城
伊勢湾の景色、この先伊勢参宮道では目にする事が無いかもしれません。
しかと目に焼き付けておきます。
痔神大明神。
痔の治癒を御利益とする神社。
石碑には「ぢ神」の文字が刻まれています。
巨大龍踊り。
千王神社の雨乞い神事、龍の長さは日本一の55m。
巨大龍踊りの担ぎ手、町屋百人衆の幟が地域全体の家々に立っており、賑やかでした。
10.津宿
ここは、京方面からお伊勢参りをする人々が通る伊勢別街道との追分。
この道は明後日、伊勢神宮参拝後に歩く予定です。
先ほど気になった店。
700m戻る事になりましたが、店の魅力にひかれてやってきました。
ご近所のご夫婦や若者から家族連れまで、幅広いお客様で賑わう店、良い時間を過ごせました。