伊勢参宮道3 松阪宿→小俣宿
2024.07.01
1.松阪宿
昼食のラーメンは、ラーメン屋さんとは思えない造りで、かなりお上品なお味でした。
松阪の街並み、街道から外れた場所も楽しそうです。今回は寄り道できませんが、また来る楽しみが出来ました。
松阪肉の店がたくさんあります、
5階建ての和田金は圧巻、20年位前に仕事で来た事があり、出張日当を全て使って食べたすき焼きの味が、いまだに忘れらません。
松阪宿の中心部を抜けて気が付いたのですが、"松坂牛"ではなく"松坂肉"の表記しか目に付きませんでした。調べてみると、肉質の定義は同じで、意味も同じの様です。
その中で今更ながら気がついた事は、松阪の読みが、「まつさか」と濁らない事でした。お恥ずかしい限りです。
2.茅の輪くぐり
畷道の途中に突然センスある建物が、ブティックでした。
大きな常夜灯を見ても、驚かなくなってきました。
年間500万人もの人が行き来していれば、常夜灯を寄贈する人も多くなり、見栄もあって、大きくなったのだと思われます。
沖玉の夫婦石。
この石は酒が大好きで、酒をかけて酒を預かって頂く様に祈ると、断酒できる様になると言われたため、禁酒の神様と呼ばれる様になりました。
3.櫛田の渡し
東海道中膝栗毛に登場する茶屋。
おもん茶屋とおかん茶屋、二軒の茶屋が並んでおり、旅人がどちらに入るか悩む姿を女将さんが、やきもきしながら焼き餅を焼いていたそうです。
旧櫛田橋の石欄干。
何故か民家の門が、橋の欄干でした。きっと櫛田橋に愛が深い方のご自宅なのでしょう。
お伊勢参りで往来した人の数、特に多くなるのが20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮の翌年です。
1705年は4~5月の2ヶ月で362万人も歩いたそうです、尋常ではありませんね。
櫛田川の堤防に登り街道をふり返りながら考えてみました。
2ヶ月で362万人が歩いたとすると、1日あたり約6万人が歩いた事にになります。
朝早い旅人が松坂宿を朝5時前後に出立したとすると、ここまで約7kmあるので6:00頃から渡しに乗る人々が到着します。
次の小俣宿まで約12kmありますので、日没から逆算し16:00頃が最終便とすると、渡しの運行時間は10時間。
1日6万人が綺麗に分散して歩いたとして、1時間に6千人の人を運ぶ事になります。さらに細かく分けると、1分間に100人を輸送する渡し、どんな感じだったのか見てみたくなりますね。
大雨などで増水し渡しが運休したら、伊勢参宮道全域に人が溢れて、恐ろしい事になりそうです。
4.斎宮跡
美しい水田。
街道を歩いていると、季節ごとに彩りを変える水田を何度も目にします。
思い出深い水田を3つ紹介します。
北国街道 新潟県上越市
山あいの道を歩いていると、森が途切れ左手に視界が広がった瞬間、眼下にまるで別世界のような大きな水田が広がっていました。
北国街道を歩いた時の記録はこちら↓
三国街道 群馬県高山村
視界の悪い霧の中の峠道を下っていると、やがて霧が晴れて、まるで絵画のような景色が広がってきました。
三国街道を歩いた時の記録はこちら↓
西国街道 山口県防府市
かつては陸の孤島だった富海宿、坂道から望む街は海辺の箱庭のようでした。
西国街道を歩いた時の記録はこちら↓
紹介した三つの水田、北国街道・三国街道・西国街道、偶然にも街道名に国の字が入ってます。
そして時期は全て9月中旬、稲穂が首を垂れ黄金色に輝く時期が、一番美しいのかも知れませんね。
畷道にポツンと、鶏の巣箱のような祠が建っています。
小さな祠ですが、圧倒的な存在感でした。
祓川(はらいかわ)。
伊勢神宮が近づいて来たからか、神秘的な名前の川、ここで神宮参拝の前に、身を清める意味合いがあったのかも知れません。見た目も神秘的でした。
奉納煙火大会。
慶事や年忌などの弔事に願いを込めて打ち上げる花火。
一般的な花火大会の企業協賛とは異なり、個人や身内が奉納金を納めて打ち上げます。
この付近には、斎宮と呼ばれる、古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所。格式ある場所だったのですね。
5.竹神社
竹神社。
かつての斎王の宮殿の中心地であったそうです。鳥居をくぐると神聖で厳かな雰囲気がひしひしと伝わってきます。
次から次へとご近所の方々が参拝にお見えになってました。
神宮遥拝所。
伊勢神宮の言を正式には神宮と呼びます。遥拝所とは、直接参拝できない人が離れた場所から参拝できる場所。
六地蔵石幢。
詳しく説明してあります。六地蔵が石灯籠の中にきれいに収められていたのですね。
6.明星水
この地で湧き出た名星水で旅人にお茶を接待していたそうです。
羨ましい、私も接待を受けてみたい!
そうめん坂。
かつては、この坂に、そうめんやうどんを出す店があったそうです。
そうめんと言えば、奥州道中にそうめん地蔵と言う、面白い名前のお地蔵さんがおりました。
室町時代に、日光山に修行に行ったお坊さんが、意地悪山伏にそうめんをたくさん食べさせられ、気絶してしまいました。それを助けようと、別のお坊さんが日光中のそうめんを食べ尽くし、山伏は降参。そのお坊さんは将軍地蔵として、この地に戻ってきたた話が、うそうめん地蔵伝説として、語り継がれてきてます。
その伝説が、現在は日光で有名な神事、山盛りの白米を食べる、強飯式の由来と言われています。
奥州道中を歩いた時の記録はこちら↓
転輪寺の寺カフェ。
ご近所さんのコミュニティの場として、重要なお寺の役割を担っています。
外宮まであと二里です。
そういえば、目的地までのカウントダウンを教えてくれる道標、初めて出会いました。
このカウントダウンが一番歩く時の気持ちを高める事を、昔の旅人が一番わかっていたのだと思います。
7.小俣宿
赤福と共に地元では人気の和菓子へんば餅。入りたくなる店構えですが時遅し、もう閉まってます。
後少しのところで、朝以来の激しい雨が降って来ました。
お宿の主人がご飯を用意して待ってくださっているので休むわけには行きません。
長い一日でした。
お食事が想像を遥かに超えた内容。
一品一品丁寧に出されるお料理が、美しく美味しかったのて、全て撮影しちゃいました。
いやぁ大満足です。
歩い行く旨をお伝えしていたら、部屋には足のケアをするシートが!
感動しました。
ありがとうございました。