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ごみを拾え、ごみを書け

「さみしい夜にはペンを持て」の感想文として、いつの間にか苦手になってしまった書くことを自分にとりもどすという記事を書いた。

気になった人はぜひ「さみしい夜にはペンを持て」を読んでもらいたい。
そして「書くこと」についてもう少し、私の考えを書いてみようと思う。

何を書くか

記事を書こうと思ったら材料がいる。
何について書いてもいいけれど、まったく何もないとそれも困る。
さて、何について書こうか。
自分について? 仕事について? 最近見た映画について?

自己紹介として自分について書くことはできる。でも、自分について書き続けるというのはむずかしい。よほど自分が好きな人なら書けるかもしれない。

仕事について書くのはよいが、説教臭くなったり愚痴っぽくなったりしないだろうか。せっかく仕事を終えて家に帰ってきたのにまた仕事のことを考えるのは気が重い。

ただ記録のように、あれをした、これをしたと書くのも味気ない。
「今日はお父さんとお母さんと弟とおじいちゃんと買い物に行きました。スパゲティとピザとサラダを食べました。おいしかったです。ゲームもしました。たのしかったです。」みたいな日記になってしまう。

個人的には「ごみ」について書くのがおすすめだ。

ごみとは何か

ごみとは何か。ごみとはごみだ。
あなたが生活する上で発生するものとも言いかえられる。

私の場合は毎日のごはんがそうだった。

ごはんは毎日作る、毎日食べる。書く材料は毎日できる。
できるというか勝手に生まれてくる。

例えば焼きそばを作ったとする。
焼きそば。特に珍しい料理でもない。

でも、今日作った焼きそばについて、なぜ作ったのか、どう作ったのか、書いていくとそこに「私の視点」が表れる。

ごみを見つける

書いたものがウケるとか、面白いとか考えなくていい。
ただ毎日出るごみを拾う、書く。ごみを拾う、書く。拾う、書く。
それを続けていくだけでいいと思う。

そのためにはまずごみを見つける必要がある。

自分にとって何がごみか。それは自分でないとわからない。
それは毎朝飲む一杯のコーヒーかもしれない。
レシートの裏に描くらくがきかもしれない。
庭で育てている家庭菜園かもしれない。

私も自分が毎日作っている料理がごみになるとは思わなかったしね。


いただいたサポートは明日の食費に使わせていただきます。だが、お前のために食事は作らない。