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遠回りこそ最短の道

藤子F不二雄先生の漫画に「自分会議」というSF短編がある。

ネタバレになるので詳細は書かないが、ぜひ一度読んでみて欲しい。
図書館とかにあるはずだ。

簡単に言うと、それぞれ〇年後、〇年後の自分たちがタイムマシンでやってきて、これから人生の分かれ道でどうするか会議をする。


過去を振り返る時、私はこの「自分会議」を思い出す。
過去の自分に話しかけに行く。

今から10年前、30歳の私と出会ったとする。

「お前はこの後、ウツになって仕事を変えるし、採用試験は諦める。結婚相談所は10年続ける。いいところまでいくけど結局は結婚できない。そして、十歳以上年下といきなり結婚する。」

そう言われても30歳の私は信じないだろう。

さらに10年前、20歳の私と出会ったとする。

「お前はこの後、全然関係のない業種に就職する。すぐクビになって全部投げだして実家に戻る。教員免許をとり直して教員になる。あと、保育園で働く。」

そう言われても20歳の私は信じないだろう。

さらに10年前、10歳の私と出会ったとする。

「お前はこの後、中学校で痛い恋愛をする。色々あるけどがんばれ。〇〇高校に進学して、いい出会いがある。大阪とか東京とかに行きたいかもしれないけど、行き先は熊本です。知ってる?熊本」

そう言われても10歳の私には何のことか分からないだろう。

そうやって自分会議をしてみて思うのは、未来のことはさっぱり分からないということだ。


もっとしっかりした人なら「私はこうなる」と目標を立てて、それに向かって努力して、それを実現させるのかもしれない。

ただ私はそういうことができなかった。根本にいい加減なところがある。肝心なところでそれが出た。踏ん張る土台がなかった。

周りの状況に流されて、流されて、ここまで流れ着いた感がある。

「もうちょっとがんばれなかったのか」「何とかならなかったのか」

そういう思いがないわけではない。

大きな流れに流されつつ逆らいつつ、なんとか沈まずに泳いでこれた。

そう、沈まなかったのだ。流れが急なところで無理に泳いでいたら、溺れて死んでいたかもしれない。


過去の自分たちと話をしてみると「まあ、しょうがなかったよね」という思いもある。そして、あの時に流された経験は必要なものだったと今になって思う。あれが私にとって最短の道だったのだと。

「一番の近道は遠回りだった。遠回りこそが俺の最短の道だった。」

ジョジョの奇妙な冒険第7部 スティール・ボール・ラン

若い人には「がんばれよ」と思う。「がんばりすぎるなよ」とも思う。
「40歳まで生きろ。そうしたら色々わかる」と思う。

#想像していなかった未来

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石原滋之@システマ岡山
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