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音楽×デザインの人です / 自己紹介

はじめましての人ははじめまして、デザイナーの菅野美音といいます。

自分の中での整理も兼ねて、改めて自己紹介します!菅野ってなにしてる人なの?どんな人なの?ということをつらつらと。


デザインやってます。

1998年生まれ、20歳。生まれも育ちも神奈川県。県内のデザイン科高校を経て、現在東京藝大デザイン科に通う大学1年生です。(4月から休学予定)

いま生活の主としていることはフリーランスデザイナーとしての活動。グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、Webデザインなどを主にやっています〜

主に音楽関係のビジュアルデザインが多いです。

「果報堂」という、美大受験生のためのブランドの代表もしてたり。

すっきり明快なデザインが好きで作っています〜。
下は、草加にあるBar Garage NICHEさんのロゴデザインをしたもの。

などなど。


"デザイン"が適正だと思ったのはわりと最近

身内やインターン、サークル繋がりでデザインの仕事をしていくにつれ、自分がデザインに向いていることに気づいていきました。思い返してみれば小さい頃も絵を描くことや物を作ることは好きだったんですが、二次創作ばかりやっていたなと。もとからあるものを自分が好きなように描いたりリメイクしたりて感じですね。

・0→1 よりも 1→10→100…… の方が好きだし、得意。
・自分から話すよりも、人の話を聞く方が好き。
・他者に喜ばれることが好き。それが自分の喜び。

これらに気づいて、私は表現よりもデザインが適正だな、と確信しました。

私はデザインをするとき、コンサルティングをするという意識でリサーチやヒアリングをします。人の話を聞くのが好きというのがめちゃくちゃ生きてます。


私にとっての"デザインする"ということ

私が自己理念として掲げていることばは、
"喜びをデザインする"です。

私にとって「デザインする」という行為は心の底から好きな行為。

自分だったり相手だったり皆だったりのもやもやを取り出して、まずそのもやもやを『1』として具現化する。そしてそれを、『1→10』にしていく。

その手探り的なプロセスは大変だけど楽しいし、そうして作り上げたもので"人の心を動かす"という風に人自身のデザインができたら、私にとってこれ以上嬉しく楽しいことはありません。

そして"喜び"とひとくちに言っても、それはクライアントさんだったり、私の家族だったり友人だったり、私のデザインを見た知らない第三者だったり、いろんな人の喜びを生みたい。そうなることこそが、私の喜びです。

なので、私にとってのデザインは手段です。私とあなた、友人、家族、仲間をつないでくれる、手段。


実は音楽の方が歴が長いんです

「美音」なんていう名前の通り、父母ともにクラシック音楽に関わる家庭に生まれまして、私も長年プレイヤーをやっていました。十数年プレイヤーとしてピアノに関わる傍ら、絵を描く/ものを作るといったクリエイションにも興味がありやっていて。

高校までは美術<音楽、
高校からは音楽<美術。

高校受験のときに専門的な学科に行きたいと思い音楽に行くか美術に行くか悩んだのですが、その家柄 音楽は自発的に始めたわけではありませんでした。義務的にやっていたピアノに楽しさを感じなくなり努力するのも辛くなってたんですね。なので高校受験を機にプレイからは離れ、美術の道にチャレンジすることに。半ば逃げです。

そして、音楽はやめてから好きになりました。

今は趣味でピアノを弾いているのと、サークルでバッハを歌っています。大学に入ってからまた音楽に関わる機会が多くなりました。

去年の秋頃まで私にとっての"音楽"はそう重大なものではなかった…というより、重大なことに気づいていなかったのですが、秋、とある人との出会いがきっかけで そのとき初めて自分の原点がクラシック音楽だということに気付きます。

それをきっかけにじわじわと

自分のデザインという手段クラシック音楽文化振興のために生かしたい。

プレイヤーとしてではなく、デザイナーとしてクラシック音楽に関わっていきたい。


こう思うようになりました。


クラシック音楽を"体験"してほしい

私のビジョンの話をします。

なんでクラシック音楽なのか。
幼い頃から慣れ親しんでいて純に好きだというのも、性質面や芸術面で魅力を感じているというのももちろんあるのですが、それ以上にプラットフォームで完結してしまっている業界の現状に疑問をもっているからです

私の尊敬するヴァイオリニストさんの受け売りのことばになりますが、

いい音楽にジャンルは関係ない。どんな音楽であろうと、中身の込もった音楽は届くし、中途半端な気持ちでつくられた音楽は届かない。ジャンルで区切るのってくだらないよね。

(この考えには共感の嵐なので、これ以来私は自分のビジョンのことをクラシック音楽×デザインではなく音楽×デザインと言うようになりました)


でも、ジャンルで区切られ、社会的なイメージでもって関わりを遮断されてしまう音楽があるのも実情。

私が密接に関わっていてなおかつよく知っているその音楽のひとつは、クラシック音楽 です。『クラシック音楽だから』という壁で以って、その音楽に出逢うことを拒絶してしまう現代の音楽文化は非常にナンセンスなのではないか。つまりは文化がクラシック音楽の需要を下げてしまっているのではないか。と思っています。


この、

音を発する楽器の、

音を生み出す演奏者自身の、

その場で流れ出す音楽の、

そして聴き手自身の、

震えを、響きを表情を 感じたことはありますか。


それは現場に行かないとわかり得ないことです。

音楽の力は言語化できないし、現場で体験してみないとわからない。

オーディオ機器に溢れ、手軽に音源を共有出来るサービスが出回り、音楽に触れる機会というのはとても増えてきました。けれどもそれでは表面的なものにしか触れることはできなくて、音や曲をつくりあげる現場の温度、思い、空気を感じることは至極難しい。



だから私は、クラシック音楽という"体験"に出逢わせる体験をデザインしたい。

あなたが思っている以上に、生の音楽は豊かだということに気づいてほしい。



"クラシック音楽"が、いずれはそうカテゴリに分けられることなく"音楽"として大衆に馴染んでくれる。純に楽しめる。そんな未来を、心から願っています。




つまりは音楽とデザインの人です。

菅野美音を、よろしくお願いいたします!


ここまで読んでくださりありがとうございました。


[ Photo by 松下穂香 ]

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菅野 美音 / Sugano Mio
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