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放射線を浴びたX年後
2015年12月10日のブログを,ここに再度掲載します.このブログは,
「放射線を浴びたX年後」伊東英朗,講談社(2014)を読んだ直後に書いたものです.伊東さんは愛媛,南海放送ディレクターです.高知県の高校教師,山下正寿さんの活動をフォローし,報道記者としてカメラマン三本さんと共に十年以上の聞き取りや調査を続け,この本や同題名の映画が2本できました.本も映画もぜひご覧になることをお勧めます.
この本は,日記のように取材の様子が描写されており,私は「シベリアと流刑制度」ジョージ・ケナンや「サハリン島」チェーホフを読んだ時に感動したのと同じような臨場感があります.
山下さんは高知県幡多地区の幡多ゼミの高校生と一緒に,1985年からビキニ事件の被害者であった地元の漁師たちの聞き取り調査を続けてきました.「小さな赤いカニがセメントで固めた堰に穴を開けるがよ」と.これは素晴らしく地道な活動です.被ばくしたのは第五福竜丸だけではなく延べ992隻のマグロなどの漁船(指定5港で放射能検査を受け,被ばくした魚を漁獲した船の数,実際は検査を逃れた漁船も貨物船もあるのでこれより多い船数)が被ばくをした.被ばく船員は1万人を超える.第五福竜丸の久保山愛吉さんだけではない.ここに登場する第二幸成丸はビキニの水爆の3月1日には第五福竜丸の次に爆心に近くで操業しており死の灰も浴びています.その貴重な証言からいろいろ明らかになっていきます.
ビキニ事件は1954年3月1日.米が実施したマーシャル諸島の連続水爆実験キャッスル作戦では,6発の水爆が大気圏で爆発しました.この作戦の1発目のブラボー水爆で第五福竜丸が被ばくしました(3月1日).実験場の南太平洋はまぐろの漁場で多くのマグロ魚船が出かけていました.そして日本本土も汚染されました.私達も雨に濡れないよう言われ,ガイガーカウンターで検査する漁港のマグロをニュースで見たものです.しかしまもなく検査をしなくなり,魚が流通し国民みんなが食べました.
米は1954年のキャッスル作戦の2年前に,同海上でマイク水爆実験を実施し,実験場北側の硫黄島で高い汚染,日本の観測ポストでも汚染観測をしてました(アメリカのエネルギー省のサイトに膨大な機密文書が公開されているそうです).
水揚げした魚の放射能検査は1954年3月から12月までが行われ(それも緩和された許容値が設定された)たが,1955年1月からは検査が廃止されすべてが市場に流された.これは1954年12月に米から慰謝料2000万ドルもらい決着させたためである(口止め料のようなもので,廃棄マグロやマグロ漁の損失に使われたが,被ばくや海洋汚染を認めたわけではなく被ばく者の救済には全く関係がない).ちょうどこの頃(1954年3月)日本の原発は唐突に始まります.冷戦中の米ソ軍拡競争を背景に,南太平洋の米英による水爆実験は,17年間にわたって120回も繰り返されました.
情報が隠され自分が被害者とも知らずに,ひっそり死んでいくのではたまりません.マーシャル諸島の住民たちも,福島もそうです.
注)水爆ですから威力は原爆の千倍も大きい.重水素の核融合といっても液体の重水素を扱うわけにはいかないので,リチウムと化合し固体となった水素を使います.核融合を起こさせるための高温は原爆を爆発させて作ります.従って,水爆でも原爆と同じ核分裂生成物およびプルトニウムが放出され放射能汚染をばらまくのは原爆と同じです.
(参考)
1.放射線を浴びたX年後,伊東英朗,講談社(2014)
2.放射線を浴びたX年後,https://youtu.be/FsOgOZC0m84