原体験とWHYについて不必要なレベルまで考えてみました
みなさんこんにちは。福本です。
僕自身を実験台としてブランド化していく連載は、「じぶんブランド化スターターキット」としてマガジンでまとめていくことにしました。
今後のブログ更新の方針
前回のブログで「次回はプレゼンの話を書きます!」と宣言しましたが、ブランド化するために必要な内容はあちらのマガジンに譲り、それとは別に若干思考色の強いブログをこちらで書いていく予定です。
この下の図をみてください。自分のブログの構造をこのように分けてみました。
縦軸の行動と思考は、行動したこと・考えたことです。
横軸の収束型は考えたり行動したことのすべてにゴールがあり、そこに向かって一直線に収束していくブログを書くこと。
一方、発散型はその逆で明確なゴールはなく、流れるままにどんどん話を掘り下げていくブログを書くこと。
これまでの連載では収束型の行動・思考ブログばかり書いてきました。
しかし、今後は連載ブログに至るまでの、上記図の右下に位置する発散型思考もブログにしていきたいと考えております。
なぜなら、
この発散型思考が連載のブログを書く上で、とても重要なポイントを握っているからです。
僕が連載ブログを書く上で、踏んでいるステップは下記の5つ。
1.思いつきの発散型行動をとる
2.頭の中で発散型思考でイメージを膨らませる
3.仮説を立てる
4.収束型行動で仮説の効果検証
5.検証から分かったことを収束型思考で構造化してまとめる
すべては1つ目の「思いつきの発散型行動」から始まります。特に目的もなく欲求のままに行動する。
Twitterに限定して言えば、流行ってるから箇条書きツイートをしてみたり、アンケートをとってみたり、モーメントを使ったり。ぼんやりと試してみたいことをやるだけの行動です。
こういうやつ。単なる思いつきです。
その行動から得た気づきを元に、せくせくと考えていくのが2つ目の発散型思考のブログです。広げきった話から自分の中での仮説を立てます。
そして仮説に対して考えながら行動した結果が、これまでの連載ブログです。
もちろん収束型の連載ブログだけを読んで頂いても結構ですが、より理解が深まると思いますので時間がある時にでも発散型思考ブログもお読み頂ければありがたいです。
サムネイル画像で、連載ブログは黄色、発散型思考ブログは青色で分けます。興味がない場合は視覚で判断してくださいw
では本題に入ります。
今日は自分のWHYと原体験についての話
連載の内容とは関係ないとはいえ、「アイドルはウンコしないブログ」にも少しだけ通じるところがあります。
なにより僕自身、WHYと原体験の話は割と好きなテーマなんです。
なぜなら、
僕にはWHYがない。
と悩んでいた時期があったから。
ある時期、自分がなぜこれをやっているのかについて考えまくっていました。そしていくら考えてもなにも見つからなかった。
もしかしたら同じように感じている人いませんか?
自分のWHYがわからない。
もしあなたがそうなら、今日のブログは僕なりに考えて腹決めした方法を書きますので、ぜひ解決の一助となれば幸いです。
冒頭で「ゴールのないブログ」とか言いながら、ゴールがあるっぽいことを書いてしまいましたね。
気にしない気にしないw
なぜ自分にWHYがないと考えるようになったのか?
僕にはWHYがない。
そう感じていたことには理由があります。
なぜなら、
行動がすべて突発的だったから。
僕は何かに興味を持ったら最後。目的もなにもありません。
すぐ勝手に行動してしまう。一度何かに没頭したら止まらないし、飽きる時は一瞬で飽きる。でもやってる時は徹底的にやる。
これまでにやってきたことの、ある一時点を切り取ってなぜそれをやったのかを言語化することは可能です。
が、僕はNOです。
なぜならその方法で見つけたWHYはすぐに変わってしまいます。
時間軸の短いWHYなんですよ。
それになんかこう感情的にグッとこないというか、打算的な思いが裏に見え隠れするというか。
なんかしっくりこない。
じゃあ、WHYは一体どうあるべきなのか。
そもそもWHYってなんやねん!ってことを考えるようになったのが、悩み始めたキッカケです。
WHYは一体どうあるべきなのか?
その答えは原体験にある!
ということも、最近よく聞くようになりました。
でも、ほんまにあるんでしょうか?
僕も考えてみるまでわかりません。
そういうむず痒いところを掘り下げていきますね。
それでは話を進める前に、一度僕の過去の体験群(体験談の群れのこと)を読んでもらってもいいですか?w
ちょっと長くなるので恐縮です…
過去の体験群と表現しているのは、いまはまだこれを原体験と一括りにしたくないからです。
学生時代から26歳で起業するまでの4000文字の自分物語。
では、よろしくお願い致します。
僕の過去の体験群
大学1年生が終わりに差し掛かった頃、僕は映画ばっかり見ていました。
来る日も来る日も映画・映画・映画。
もう猿のように映画ばかり観ていると、
よし、映画に出よう!
ガツンと突発的な衝動に頭を埋め尽くされました。もうそうなったら気持ちは止められない。
どうやったら映画に出れんねん!
ゴールまでのステップを明確にして、映画に出るためだけに時間を使う学生生活。ひとつずつマイルストーンをクリアしていきました。
活動を始めてから約1年後の大学3年生になる頃、大小問わず実績を積んでようやく映画に出られるようになりました。
その後いくつかの作品に出たあとの大学を卒業する間際、
たまたま役者の先輩から、コメディ演劇の舞台にでぇへん?と声をかけられたんですよ。
よし、演劇の舞台に立とう!
またきました。欲求のヤツが。
頭の中で、あなたに話しかけてくる自分と同じ声のヤツ、みなさんにもいますよね?
そいつがいつも、僕の行動を決めてくるんですよ。
ただ僕の場合、案外そいつのことを信頼してるので、言いなりになって動くことが多いです。
…
先輩から頂いた話を正式にお受けして、舞台の練習に足繁く通いました。そしていよいよ本番。僕は共演者である芸人の人たちと舞台に立ちました。
それがまた楽しかったんですよ。
これまでの映画出演とは違って、リアルタイムで観客の反応があるし、笑いが生まれるし、ちょっとした余白があるというか。なんか自由で楽しい。
それがキッカケとなって大学を卒業する時に、
役者をやめました。
楽しかったのになぜやめたのかですって?
実は役者をやめる前、頭の中のアイツがまた来てたのです…
よし、芸人になろう!
舞台役者かと思いきや、なぜかアイツは芸人の方を指差してました。
自分が考えたアウトプットに対してリアルタイムに反応をもらって、一喜一憂できる。
ずっとワクワクドキドキできるやん!ごっつええ感じ!
あえて言語化するとこんな感じでしょうか。
また演劇はチームプレーなので、「自分が考えたアウトプット」という要件をすぐに実現できそうにありませんでした。
それを実現するのは、0から10まで自分で考えなければいけない芸人の方が早そう、というぼんやりとした想いもありました。
以降、芸人としての活動に没頭…
お笑いの学校には通わず野良芸人からはじめ、しばらくするとちゃんとしたステージにも立てるようになったし、それで少しだけお金ももらえるようになってきた。
が、お金がもらえると言っても微々たるもの。
ライフワークとして考えていた芸人活動が、食うためのお金を稼ぐ「ライスワーク」としての要件にはほど遠かったです。
当時、ライスワークとしてのバイトはテレアポをやってましたが、一週間でいちばん長い時間を使う労働が、おもしろくないのがずっと嫌だったんですよ。
それで、もっとええとこないんかいな!と違うところを探すことに。
芸人としての活動を優先したいから時間に融通がきいて、お金もいっぱいもらえる仕事が良い。
で、知人から紹介されたのが、規模が大きめの通信系の会社のテレアポの仕事です。
またテレアポww
いま考えると、テレアポをやろうと決めたときには、
例の頭の中のアイツは、何も指示を出してきてません。
芸人としての活動を優先したいから、時間に融通がきいて、お金もいっぱいもらえる仕事が良い。
おそらくこの条件は、頭の中のアイツではなく、本体の僕が考えたことなんでしょうね。
アイツからしたらやりたいこと以外どうでもいいんでしょう。
ただやってるうちに新しい環境のテレアポ会社では、徐々に没頭してきました。
自分が考えたアウトプットに対して、リアルタイムに反応をもらって、一喜一憂できる。
おもしれーなー。芸人を始めた理由と同じやなと。
没頭するともう止まらないですから圧倒的にやる。
ちょっといや、ちょっとどころではない自慢で恐縮ですが、実際新しい会社でテレアポをはじめて1ヶ月で全国1000人以上のトップになりました。
インセンティブとして、やればやるほどお金も増えていきましたし、チームも任されるようになって、ライスワークでの稼ぎが想像以上の展開に。
このタイミングでアイツがまた指示してきました。
よし、もっと稼ごう!
キターーーッ!!!
気づいたら芸人活動そっちのけで営業に没頭してる状態。どんどんのめり込むにつれて、周囲の会社にも噂が広がっていきました。
結果、僕が管理してたチームが丸ごとスカウトされて、もっと条件が良い他社に移籍したりと、稼ぐことだけに没頭する日々。
そしてライスワークがライフワークになってきた、そんなある日。
僕はなんとなく帰り道にTSUTAYAに寄ったんです。
特に目的もなくブラブラしてたところ、たまたま島田紳助さんの「紳竜の研究」というタイトルのDVDを見つけました。なんとなく買って帰って特典の方のDVDを見た時に、僕は衝撃を受けました…
芸人として全く努力していないやん。
実はまだ芸人は続行中。
バイトばっかやってるし、2年近く芸人やってきてたったこれだけの成果。周りからはハングリー精神のない芸人と揶揄される始末。
クソのセンスもねぇ!!
セルフディスはどんどん飛躍していき、DVDを見終わった瞬間。
よし、芸人やめよう!
と決心。これは本体の僕の意思決定です。
見終わってすぐに相方に伝えました。当時、相方も同じ職場で僕の家に住んでいましたが考えは同じで、すぐに合意。
これで芸人生活は終了。
それが2007年の年末でした。
この頃、営業会社の同僚も僕の家にほぼ毎日泊まりにきていたので、よくご飯を食べに行ってたんですよ。
でもこれまでは、休みの日に芸人活動があったのであまり一緒に遊んでません。
芸人やめたからこれから休みも遊ぼうぜ!
といつものメンバーに飲みながら話してた時に、
よし、海外に行こう!
突然なんの前触れもなく、アイツがやってきました。
次の日に会社に長期で休みをもらって、適当に買えるチケットを買い、数日後には数人でタイに飛び立ちました。
なぜタイかって?
「ザ・ビーチ」を観たからに決まってるじゃないですか!
はじめてのタイ。
定宿もとらずに、蒸し暑いバンコクのカオサンロードを拠点に、数日ブラブラしてからプーケットへ。映画と全く同じ流れですw
ほんまに映画好きなんですよ。
プーケットについたら船でピピ島まで行って(さすがに映画みたいに泳いで行ってませんw)、ダラダラと酒を飲みながら映画さながらの堕落した毎日。
そんなある日、ヨーロッパからバカンスで訪れている家族が目に飛び込んできました。お母さんと子どもたちはプールで遊び、お父さんはMac一台でもくもくと仕事。
その時に、なんかぼんやり考えてました。
自分たちは決まった場所で、決まった時間の仕事をしないと生きられないのに、このおっさんはこの場所でも生きてる。すげーなー。
よし、ITで起業しよう!
頭の中のアイツが飛び出してきましたね。
速攻で日本に帰って会社に辞めることを伝えました。引き止められましたが起業することは決まってます。止められない。
自分がいなくても回っている状態ではありましたが、迷惑はかけたくなかったのは事実。落ち着くまでは先方から提示された、外注でサポートしますという契約で納得。
それ以降時間的な自由が手に入ったので、一緒に海外に行ってた同僚と起業するための活動開始。
オフィスを探したり、事業を考えたり、毎日がワクワクの連続。
ただちょっとおかしいなーと感じてました。突発的な衝動からその日のうちに行動をしてた、今までの自分の動きとはちょっと違う。
全然なにもやらないのです。
実際に動いていたので、やってる感はでています。
でも、オフィスも契約しない、会社も登記しない、Webサービスを作ろうとしてましたが、誰も開発できないから何も始まらない。
じゃあ外注に出そうかと調べましたが、高いし、何が正しくて、何が間違ってるかもわからない。
ITで起業ってどうやんねん!
当時の僕は壁にぶつかっていました。
今考えるとリスクをとることにビビってただけなんでしょうね。今までは自分の身ひとつでとにかく行動するだけ。
でも今回はなんかちょっと違う。
初めてみえた頭の中のアイツがビビってる姿。
そんなビビり野郎が次に本体の僕に出した指示は、
よし、プログラマーになろう!
でした。
たしかに。まとまったお金もないし、業界のことも知らないなら情報を取りに行くしかない。一緒に起業しようと話してたメンバーにも、修行のために全員IT系に散らばってもらい、
また2年後に合流しよう!
とリアルワンピース的展開w
で、それから僕はITベンチャーにターゲットを定め、プログラマーとして雇ってもらうために手当たり次第応募。空き時間にはテック系の本を読みまくってました。
そうこうするうちにいくつか面接の機会をもらえたので、ここぞとばかりに本で詰め込んだキーワードをぶつける!
「動的な…クラスが…」
プログラマーっぽさを演じてるつもりw
このためにテック系の本を読みまくってました。今考えればド素人の何もできない奴というのは当然すぐにバレてましたね。
でも結果、採用してもらえましたがw
今となっては、こんな僕を拾っていただき本当に感謝しております。
プログラマー生活初日。OSだけ入ったフィジカルサーバーを与えられて、サーバーを作るところから開始。
最初の3ヶ月は、睡眠時間を極限まで削って死に物狂いで、
コードを書く!書く!書く!
3ヶ月経ったある日に突然、「そういうことか!」と、何かが頭に舞い降りてきました。これまで見えていなかった構造のつながりが見えてきて、仕組みを理解できた瞬間。
「俺に作れないものはない!」
と調子に乗った創造主モードに突入w
自社サービス開発の一員として仕事を与えられて、ぜんぶで2年間プログラマーとして勤務していました。
そして約束の2年が経過。
そのちょうど半年前に4年間付き合ってきた彼女と結婚もしたし、籍を入れて1ヶ月後には妻が妊娠。
ライフイベントがわんさか押し寄せてきたタイミング。頭の中のアイツが久日に帰ってきました。
よし、ITで起業しよう!
バラバラにちらばったメンバーは、誰一人欠けることなく合流し3人で起業。
これが僕の起業までのストーリー。
会社は現在9期目。いまもしぶとく生き残っています。
過去の体験群から「WHY」を定義する
お疲れさまでした。
4000文字の誰かようわからん男の文章。よく読んでくださいました。ありがとうございます。
ご覧いただきました通り、
僕は本当に欲求のままに生きてきた動物のような人間です。
妻からもよく言われます。
「あんたには感情がなくて、動物のような小5病を患った人間や」
中2病ですらないんかよw
いつも心の中で反論していますが、いちばん接している時間が長い人が言うんだから認めざるを得ません。すいません。
そんなこんなな僕ですが、先程お読み頂いた体験群の中のどれが、「現在やっていること」の原体験になっているのか?
僕の結論は、すべてです。
体験してきたのすべてことが今の僕につながっていますし、この体験の中で特にコレ!みたいなこともありません。
僕の原体験の定義を言葉にすると、
言語化できない欲求から起こした行動のすべて
この下の図をみてください。
原体験とは実際に行動を起こしたこと。当然ですが、行動は体を動かして行うことなので言語化できません。
でも実際に過去の体験群を言語化して、
4000文字もクソ長い話を書いてきました。
これはじゃあなんなのか?
これはですね…
ストーリーです。
原体験はもうすでに体験し終わった過去のこと。
もう僕の頭の中にあるんです。頭の中にある体験談の群れをストーリーとして言語化する。そしてストーリーの中から、自分の行動パターンを見つけてさらに言語化する。
僕でいえば、
1.欲求のままに生きる
2.死の二択(過去を断ち切ってやる or 飽きたことをやり続ける)
3.まずはやってることを好きになる
この3つです。
何か特定の経験を元にした時間軸の短いものではなく、自分にとって一貫性のある行動をとりやすい行動指針ができます。
なぜ一貫性のある行動をとりやすいのか?
それは事実として行動してきた中から、自分の行動パターンを言語化しているからです。
つまり、意識する必要もなく実践することができる行動指針になる。
これで出来上がったものは、おそらく一生変わりません。
それが僕にとってのWHYということになり、この3つを1つのパワーワードに落とし込むとさらに行動しやすいものになるでしょう。
つまり、
1.行動してないのに言語化したものはWHYにはならない
2.WHYは語るけど行動との一貫性がなければWHYにはならない
3.ある一時点を切り取ったWHYはあとで変わる
変わってしまうくらいなら、無理してWHYを作る必要はないですよね。
わざわざWHYなど考えずに、そのまま走りきってしまえばいいと思います。
このように考えると、すごくシンプルに自分に腹落ちするWHYを作ることができました。
さいごに
みんなもっと欲求のままに生きたらいいのにな
と僕は本気で思っています。もちろん押しつける気はありません。
でもね、意識しなくても一貫性のある行動をとれるから、自分の芯が自然と決まるのはかなり楽ですよ。
おもしろいもので、自分の思想をぶち込めるサービスは何も意識しなくとも自分のWHYがベースになっていきます。
欲求ドリブンで生きよう。
欲求のままに生きてると、無意識に自分が小さい頃にやりたかったことに近づいていくもの。
僕の保育所の時の将来の夢を見てください。
夢叶ってますww
夢の対象範囲をものすごく広く押さえることも重要ですw
ありがとうございました!!