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バラナシ②  インド編

 バラナシ駅に着くとオートリキシャーを捕まえてゲストハウスが密集している旧市街まで連れていってもらった。オートリキシャーというのはバンコクでいうトゥクトゥクに似ており、バイクの後ろに数人乗れるほどの座席が付いた小さな乗り物だ。元々その呼び名は日本の人力車から来ているらしいのだが、本来の人力の車の意味がこのインドまで辿り着いた頃に頭にオートが付いてしまって自動だか人力だかわからないような名前になってしまったようだ。オートリキシャーを日本語に直訳してみると「自動人力車」となり、1つの単語の中に矛盾が生じる滑稽さだ。因にリキシャーという完全に人力の乗り物まであり、これに限っては意味を異にするものではないのでしっくりくる。

 料金的には・・・

 リキシャー<オートリキシャー<タクシー

 となるが、なんて言ったって人力車なのだからリキシャーが最も過酷な仕事なのは言うまでもないだろう。にも拘らず最も収入が低い。リキシャーを漕いでいる姿を見ると可哀想になる。

 ところで、旧市街には日本人バックパッカーの間で恐らく一番有名であろう日本人宿、久美子ハウスがある。そこで寝泊まりするのも実は今回の旅の目的の一つだった。

 オートリキシャーで旧市街に着くと、まるでそこは迷路のようだった。道は狭く入り組んでおり、ところどころで痩せた牛がウロウロしている。更に奥へ進めばそこにガンジス川がある。
 
 迷路、野良牛、ガンジス川──。濃い、濃すぎるくらいだ。

 久美子ハウスはその迷路の奥、ガンジス川の川岸の岸壁に位置していた。

 宿に入ると白髪で長髪の老人が出て来た。彼こそ久美子さんの夫シャンティさんである。そして中に入ると日本人のおばちゃん久美子さんが居た。
 
 ──この人があの久美子さんか。
 
 遠藤周作の「深い河」という小説の中に17歳の日本人女性がインドへ嫁ぐ話が触れられていたが、この人が正にその女性なのである。
 今はまんまると太った中年女性で、かなり歳の差のありそうな夫婦に見える。実際の年齢までは知らないのであくまでも憶測だが──。

 3階へ上がると数人の日本人旅行者がおり、各々本を読んでいた。僕はベッドに荷物を降ろし、早速外へ出かけてみた。

 ガンジス川を川岸に沿って歩いているとガートと呼ばれる火葬場があり、銀紙のような包みに包まれた死体が焼かれようとしていた。
その様子をしばらく観察していたら、一人の老人が僕に向かってもう見てはいけないと合図をした。

 やはり彼らにとって僕はただの観光客でしかなく、親族の葬儀に外国人であり異教徒である日本人が居合わせることは遺憾なのだろう。

 ヒンドゥ教徒は亡くなった人を火葬し、その遺骨をガンガ(ガンジス川)へ流すことによって、罪を洗い流し、苦しい輪廻から解放されると考えられており、ヒンドゥ教徒であれば誰しもがガンガへ葬られることを望んでいるらしい。しかし、例外があり、蛇に噛まれて死んだ者、妊婦、そして幼児は火葬ではなく水葬でなければならず、そのままの状態で死体を川に流す。その為に時々ガンジス川では死体がそのまま流れてくるのだ。

 余談だが、葬儀中に写真を撮ったらインド人達に半殺しにされるらしい。

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